投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2014年12月 6日(土)09時01分16秒

まず、「国は法に依つて昌え、法は人に因つて貴し」とは、国の繁栄、民衆の興隆は、必ずその根底となる法、つまり思想の高低、浅深によって決定されるという原理です。これは客の言葉ですが、重要な真理をあらわしています。

そして「法は人に因つて貴し」とは、いかなる法も、それを実践する人の「実証の姿」いかんによって、流布もするし、消滅もするということです。
これは、受持の人、実践者の重要性を意味します。

法をたもっている人が幸福になり、福運を積んでいくことによって、
その法の偉大さが証明されるのです。

反対に、法をたもっている人が凶悪となり、残忍となり、自ら悲惨な末路をたどって滅び去ることは、その法の低級さの証明です。

すぐれた法をたもったとしても、まだ充分に身につけることが出来ず、
その人の行動の一部を支配しているのみで、大部分の行動は相変わらず、
古い考え方、低い法によって行動している人が大勢います。

そういう人たちを指導し、育てていくのが学会幹部の責任と使命だと思います。

次に「先ず国家を祈つて、須く仏法を立つべし」とは、国が滅び、人が死んでしまったら、仏法を信奉することができません。だからまず、国家や社会を安定して、その後、仏法を立てるべきであるとの客の言葉です。