投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 5月13日(水)17時54分3秒     通報

「先生」という一点で支援活動されている方は多いですよね。支援活動自体が学会活動ですので、ある一定の役職がある人にとっては、「支援活動しません」と言うことは、余程のことがない限りできないでしょう。役職という責任もありますし、尚且つモチベーションも上げていかなければならない。とくに婦人部は、「先生のために」と決意すれば、頑張れる側面が強いと思います。

だけどそれでいいのかと言えば話は別です。政治というのは結果責任であり、善人であろうと悪人であろうと関係なく、結果が全てです。学会では、支援を法戦と捉え、信心の戦いであることが強調されますが、果たしてそれで民衆が賢くなるのかどうかが疑問なのです。純粋に政治を見るのではなく、信心が混ざってしまうと、結局のところ、政党が何をしたのか、するのかは二の次となる。立正安国という理念だけが一人歩きし、幹部は支援政党の方針通りの思考に陥りがちであり、「あなたはどう思うのか」がなくなる。方針に全面賛成の幹部が多いことに驚き、話をしても面白くない。

一人ひとりの会員が政治に関して、考え、吟味することもなく支援の活動へと奔走してしまう。政党の良い面悪い面の両面を知った上で、それでも支援したいというのならばいいのですが、綺麗な側面(情報)だけで判断してしまう傾向にあることを憂慮します。ある意味、政治に関しては中立的な観点で冷静に見ていかないといけない。政治とは権力そのものですので、厳しい批判にさらされないと、つけあがり魔に食い破られてしまう。おんぶに抱っこで組織票に守られている政党というのは、いざという時に弱いので心配です。

今は現場では折伏戦が主ですが、この状況で「政治を監視せねば」と意識している活動家がどれだけいるか。支援したからこそ、厳しく監視していかなければならないのですが、戦いが切り替わると、まるでなかったかのように忘れ去られる。これでは進歩がない。当選はゴールではなくはじまりでしかありません。選挙が終わってからが本当の支援活動ではないでしょうか。うらら様のように、日常において政治を監視し、健全な批判の声をあげることが大事であり、それでこそ真の学会員といえるのではないかと思います。