2014年12月6日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月 6日(土)08時56分6秒 では、そろそろまとめに入っていきたいと思います。 ここまで、怒りながらでも黙って聞いていた客は、今の主人の主張を聞いてどんな反応をしたのでしょうか。その答えは「客、猶憤りて日く」でした。つまり、前にも倍する勢いで怒ったということです。なぜでしょう。なぜそんなに怒ったのでしょうか。学会員に置き換えて考えてみてもそれは当然です。 客――つまり会員からすれば 「私たちが信頼している公明党は、今や日本を動かす政権に入って、国民のために、いろんな制度や法制を作って働いている。 学会首脳陣も、正しき道理か否かを明確に、公平に、立て分け、組織運営をしている。今の学会の首脳陣たちは、池田先生の弟子であるし、全会員が全幅の信頼を寄せている。 もしその首脳陣たちが悪い幹部であれば、誰も信じないはずだ・・・・・。 そのような妄言を吐いて、学会を誹謗し、いったい、誰のことを悪幹部というのか。 それを詳しく聞きたいと思う」(二一頁)というのです。 この客の反論を聞いて、その後、主人は、具体的に「法然」の名前をあげて「選択集」の悪思想を破折していきます――。 さて、ここで「客の反論」の本文を見ていきましょう。 「明王は天地に因りて化を成し、聖人は理非を察して世を治む」(二一頁) ――明王は治世について天地の道理に即して民衆を化育し、聖人は、理と非理を公平に立て分けて行政を行う――とあります。 客は、当時の社会の政治的指導者、思想的指導者に全幅の信頼を寄せてこのようにいったのです。 しかし、この文をちがう角度で読むならば、大聖人は、客の問いを通して、本当の指導者のあり方を語られている、ということも考えられます。 事実、この文は、社会の指導者のあるべき姿を明確に示されているものです。 Tweet