投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月 6日(土)08時54分28秒

そして、「我、涅槃の後、無量百歳に四道の聖人、悉く復た涅槃せん。
正法滅して後、像法の中に於て、当に比丘有るべし。
像は律を持つに似て、少かに経を読誦し、飲食を貪嗜し、其の身を長養し、袈裟を着すと雖も、猶猟師の細視して徐行するが如く、猫の鼠を伺うが如し。常に是の言を唱えん、我羅漢を得たりと。
外には賢善を現し、内には貪嫉を懐く。唖法を受けたる婆羅門等の如し。
実には沙門に非ずして、沙門の像を現じ、邪見熾盛にして、正法を誹謗せん」(同頁)

――日蓮大聖人が入滅して、七百数十年という長い年月が過ぎると、
仏法を正しく弘めた「初代・二代・三代」の師匠もことごとく入滅するであろう。

師匠がいたころの活気に満ちた時代が過ぎて、学会活動も形式ばかりになり、
いよいよ学会組織自体に信心がなくなっていく末期になると、次のような幹部が現れるであろう。

その幹部は、外面は師匠の指導を守っているように見せかけ、少しばかり題目をあげているけれど、飲み食いにどん欲で、わが身だけを思っている。
その幹部は「本部職員」という仮面を身にまとっているけれども、
会員の財務をねらうありさまは、猟師がえものをねらって、細目に見て静かに近づいていき、猫がねずみを取ろうとしているようである。

そして、つねに自分は「師弟不二の精神を体得している」といい、
外面は賢人・聖人のように振る舞っているが、内面はむさぼりと嫉妬を強くいだいているのである。

教学のことなど質問されても答えられない有様は、日顕宗の坊主が学会員に責められて黙りこんでいる連中のようである。実際には、本物の弟子でもないくせに、幹部の姿をして、我見が強く威張りちらしている。

そして師匠の心を殺している――と。