2014年12月5日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月 5日(金)15時18分49秒 ここからは非常に大事なところなので、よりわかりやすく理解してもらうため、私たちの学会組織に置き換えて考えていきたいと思います。なぜなら、近い将来、学会から師子身中の虫が出ないとも限らないし、事実において過去に公明党首脳陣からも、学会首脳陣からも反逆者を出した経験があるからです。では始めます。 まず、現在の学会組織に仏法があるかないか。この点で主人と客の見解が食い違っています。 客は、創価学会が誕生して以来、八十数年にわたって会員を倍増し、初代・二代・三代・四代・五代・六代と会長が誕生し、日本全国はもとより、世界各国に創価学会の会館を建立してきました。 今や日本の政権を握る政治家も含め、あらゆる分野の指導階級から庶民までもが信仰に励んでいる。 それにも関わらず、どうして創価学会に仏法がないというのか――。 これに対して、主人は、そのように万人が信仰をしているが、御書や先生の指導とちがうことを言う幹部がいても、誰も何も言わず、黙ってその幹部の言うことに従っている。 法に照らして、先生の指導に照らして、悪は悪と言いきる者がいない。 また、それを指摘すれば反逆者扱いにしてしまう風潮があるのに誰も何も言わない。 しかも責任ある幹部が愚かで、誰も責任を取ろうとしない。 無智で、世間知らずで、仏法の正邪を見分けることができないから、ますますそのような保身の幹部がのさばり、ずる賢い幹部だけが栄えているのだ――と諭されています。 この「主人・客人」の考え方の根本的な違いは、客が形式主義にとらわれているのに対し、 主人は、実質を論じ、権威主義・形式主義を排して、仏法の正邪、高低、浅深という問題の核心にふれていることです。 Tweet