2014年12月5日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月 5日(金)15時16分59秒 ここで私たち会員が、もっとも注意し大事にしなければいけないのは、大聖人が経文を第一に引かれる深意です。実際、この立正安国論全体の構成を見ても、全文の五十一%が「経文と釈論」に費やされ「主人」のところだけを見ても、主人の主張が三十六%、経文が六十四%に費やされていることです。この事実からも大聖人がいかに経文第一に、仏法を実践していたかがわかります。 これを明鏡としてみた場合、私たちはどうでしょう。 ――御書根本に、池田先生の指導通りに信心を実践し学会活動していますか。 会員に、自身の我見や経験知だけを押し付けていませんか。 組織至上主義に陥っていませんか、権威主義に陥っていませんか――。 創価学会は、永遠に人間主義であり、平和主義であり、対話主義です。 その根底は日蓮大聖人の立正安国の思想であり、創価三代の思想・指導が根本なのです。 さて、この結論を聞いた「客」は、どんな反応をしたのでしょうか。 今度はそれを見ていきたいと思います。 結論を聞いた客は「色を作して曰く」(二〇頁)とある通り、顔色を変えて怒ったのです。 なぜでしょう。なにが客を怒らす原因になったのでしょうか。 それは「道理に暗く、法の正邪の区別がつかない人や、正邪に迷っている人が、 邪説を信じて正しい教えをわきまえず、すべての諸仏や衆経に対して、無関心になり、 捨て、離れる心をおこし、仏法を護る志がない」(同頁)と言ったことに怒ったのです。 客からすれば、「中国から日本に仏教が伝わって来たとき、仏教を排除しようとした物部守屋を聖徳太子が退治し、仏教を興隆させたではないか。その後は多くの寺院を建立し、天皇から万民にいたるまで、仏像を崇め、経巻をひもとき、読誦してきた。 そして多くの僧たちは教法を守り、教法を尊ぶ伝統を今日まで伝えている。 それなのに、釈尊一代の教えを破り、汚し、仏法僧の三宝を廃し、 仏法がないとは、誰が言えるのか。もし、その証拠があるなら、詳しくその理由を聞きたい」(同頁)と怒りながら反論したのです。 Tweet