投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月 5日(金)15時12分30秒  

次は「仁王経」です。そこには、「国土乱れん時は、先ず、鬼神乱る、鬼神乱るるが故に、万民乱る」(一九頁)
――国土が乱れるときは、まず鬼神が乱れる。鬼神が乱れて万民を悩ます――とあります。

この「鬼神」ということですが、大聖人は、鬼神には二つあると言っています。
それは「善鬼と悪鬼」(一二四六頁)があって、「善鬼」は御本尊を持つものを守るが、「悪鬼」は個人に対して功徳を奪う働きをすると述べています。

「魔」が生命内在のものであるのに対して、「鬼」は自然界や社会から生ずる働きともいえるでしょう。たとえば、社会全体をおおっている悪思想も「鬼神」といえます。

「鬼神乱れる」様相とは何なのか。政治の世界であれ、経済の世界であれ、教育の世界であれ、宗教の世界であれ、あらゆる分野で行き詰まり、これほどだめにしたのは、いったい誰の一念だったのでしょうか――。

ある人は、私利私欲と派閥争いに明け暮れ、
ある人は、学問の権威の座に坐して民衆を軽蔑し、
ある人は、経済的利益のみを追い求めて公害を撒き散らし、諸外国のひんしゅくをかい、
ある人は、評論家と名乗りもっともらしい言葉で自己を飾り、
ある人は、エリートという気位に立って弱き庶民をいじめ抜く――。

つまり、あらゆる分野の指導者たちが、法や道理・秩序などを中心とせず、会員であれば、御書や池田先生の指導を中心としないところに組織の衰退と会員の苦悩があるということです。

今なすべき緊急の課題は、生命力の減退している民衆に、力強い生命力を与え、社会に活力を与えるために、あらゆる分野の指導者の一念を正すことなのです。

それは単なる反省とか意識変革などで変わるものではありません。
思想を支配するものが生命の働きである以上、より根源的なもの――。
結論から言えば、仏法の真髄である日蓮大聖人の教え(実乗の一善)による以外にないのです。

――貴方の会社の先輩や後輩はどうですか。貴方自身はどうですか。
貴方の組織の先輩や後輩はどうですか。貴方自身はどうですか――。

問われているのは、社会や教団ではなく、自分自身です。貴方自身です。
自分自身が社会の平和のために、友のために何をしたかです。