2015年4月3日 投稿者:信濃町のネット対策の対策 投稿日:2015年 4月 3日(金)06時04分53秒 通報 信濃町のネット対策の対策です。 「邪師・五老僧」も越える「原田会長率いる執行部」の独歩の法門であります。 池田先生が同時中継で御指導されていた時の「正しい」「創価学会会則」は次の通りです。 一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を「信受」し、日蓮大聖の御書を根本として、日蓮大聖の御遺命たる一閻浮提広宣流布をすることを大願とする。 素晴らしい会則です。当たり前ですよね。 池田先生の御指導です。 以下は「邪師・五老僧」を越えた「原田会長率いる執行部」の独歩の「創価学会会則教義条項の改正」です。 大法謗の地にある弘安2年御本尊は「受持」の「対象」にはいたしません。 皆様、この違いに重大な誤りがあるのはご存知だと思います。 改正前は「信受」 改正後は「受持しません」 おかしくありませんか? 法謗の地にある「御本尊様」ですが、池田先生は、信じる私達の正しき行動と信心で繋がっていると御指導されています。 それを、原田会長は電源と端子のように切り裂き、「受持しません」と言います。 一瞬で「信受」から「非信受」になるのです。 自称「開眼」で御本尊の眼を開いたり閉じたりできる、邪宗もびっくりです。 法謗の大石寺にある御本尊でも、原田会長が話す前までは、「信受」ですが、話した後は「非信受」になるのです。 「開眼」よりも電源と端子のようです。 日興上人が弘安2年の御本尊を見本に「書写」されたかは別問題です。 日興上人の「書写」された御本尊様を拝しますと、日興上人のお手元にはたくさんの日蓮大聖人の御図顕された御本尊様が有ったと考えられます。 「書写之」の「之」が弘安2年の御本尊かどうかは、今回の「創価学会会則教義条項の改正」に対しての議論とは関係ないのです。 池田先生の御指導に反していることが問題なのです。 学者の松岡さんや宮田さん、職員、外郭職員の皆様どう思われますか? Tweet