投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 3月31日(火)08時38分11秒     通報

私の最近のモットーは「一日一勇気」である。なんでもいいから勇気を使う何かをすること。勇気を使わなくなると、心が錆びついてきて、感性も鈍る。そして、広宣流布というものは、一人ひとりのギリギリの勇気があってこそ推進できるものである。

折伏一つとっても、私の経験上、友人と会う約束をし、その時はテンションが高くても、朝になると「本当に折伏するのか」と、血の気が引いた思い出がある。勇気を出すには生命力が必要であり、まさに勇気とは生命を削る作業である。勇気を使った分だけ人は成長し、経験値となる。

人生は戦いだと言われるが、では一体何と戦うのか。それは、「失敗したらどうしよう」という不安の心であると思います。新しいことに挑戦すれば、当然失敗するリスクも高まる。だけど、環境に甘んじ、空気を読んで、波風立てずに生きていて、その先に何があるだろうか。勇気を使わない生き方に満足はなく、無難に生きている人から学ぶことはあるだろうか。動物園の動物ではなく、野生の動物の感覚を研ぎ澄まさなければ、何も為せずに終わってしまう。

内部の悪との攻防戦も勇気が必要です。身内に甘いのが人情というものであり、慈悲魔との戦いでもあります。中には、ただの悪口、幹部批判ととらえる人もいるでしょう。組織改革にしても、十中八九失敗します。失敗し、それを修正しての繰り返しの先に成功があり、一つの成功の裏には何十、何百もの失敗が存在する。逆に、このような経験を積まずに人を指導する立場になると、官僚的になる可能性が高い。

そもそも広宣流布とは転倒した世の中を引っくり返すレボリューションであり、だからこそ、それを良しとしない勢力からの迫害がある。それらに対抗するには、勇気が必須である。自分自身の勇気を大事にし、磨き抜くことも仏道修行でありましょう。広宣流布のために、一歩前進の勇気を失わないことが肝要ではなかろうか。だからこそ私は呼びかけたい。「自身の勇気を意識せよ」と。

とくに学会員の模範であるべき職員には勇気を出してもらいたい。その姿に会員は心から感動し、広宣流布の原動力となるからだ。檀上で話すのは簡単です。しかし、勇気を出すのは大変なことである。勇気ある行動、振る舞いで、人々を魅了していただきたいものである。

いかなる立場になろうとも、誰もが一学会員であることを忘れてはならない。つまり、それは生涯現役であり、組織にあぐらをかいて、ふんぞりかえるような姿をさらしてはならない。信心の狂いは常に、「自分は偉くなった」という勘違いからはじまるのが相場と決まっている。現役とは勇気を振り絞ることであり、そこには「誰かがやるだろう」という気持ちはない。自分が最前線に立つしかないわけであり、これを「一人立つ信心」といいます。

勇気を出せば、誰もが師子王になれる。それが日蓮仏法であり、学会精神でありましょう。勇気の源泉が題目であり、題目をあげるということは、戦うという事に他ならない。まずは共々に、勇気ある題目をあげてまいりたい。(私も同盟唱題参加しております)