投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月15日(土)16時03分9秒    通報
ところで、ご承知のとおり、先日(四月二十二日)、私はフィリピンでアキノ大統領と会見した。
初めての語らいであったが、会見終了後、大統領の側近の方が、
「大統領は、SGI会長のお話を、本当に興味をもって聞かれていました。
予定の時間をオーバーしたのは、そのせいでしょう」と語っておられた。

それはそれとして、会見の席上、私は祖国の民主化のために、生死を超え一体となって戦った
《夫婦愛の勝利劇》をたたえ、長編詩「燦たれ!フィリピンの母の冠」をお贈りした。

そして、夫婦の偉大な《人生の詩》を、よりくわしく日本と世界の人々に紹介したい旨を語った。
そこで、大統領との約束を果たし、その崇高な歴史を永遠に後世に語り継ぐ意味から、夫妻の苦闘の軌跡を紹介したい。

一九八六年のフィリピン《二月革命》――。
《ピープル・パワー(人民の力)》の言葉に象徴されるように、それは、権力に対する民衆の勝利、
暴力に対する非暴力の勝利を、満点下に示す偉大なる民衆革命であった。

歴史に燦然と輝くこの無血革命は、その後の東欧など各国の民主化にも大きな影響を与えた。
その原動力となったのは、いうまでもなく亡夫ベニグノ・アキノ氏の理想を継ぎ、
死をも辞さない覚悟で独裁政権との対決に立ち上がったアキノ大統領の不屈の信念である。

コラソン・アキノ夫人(愛称コリー)は、一九三三年、フィリピンのマニラに生まれた。
父は、砂糖キビ農園を営み、フィリピンでも十本の指に数えられる中国系の名門財閥であった。

第二次世界大戦中、当時、小学生だった彼女は、フィリピンに侵攻してきた日本軍の暴虐ぶりを体験する。
親戚も日本軍によって惨殺された。

そうしたなか日本軍の将校に花束を贈らされたり、日本語も強制的に勉強させられた。
当時の教科書の一節「サイタ、サイタ、サクラガサイタ」は今でも覚えているという。

【第四十一回本部幹部会 平成三年四月二十五日(全集七十七巻)】