2014年11月10日 【王者の論と賢者の論】池田先生指導③ 投稿者:河内平野 投稿日:2014年11月10日(月)16時41分22秒 たとえば、「妙一女御返事」には次のように仰せである。 「事を権門に寄せて日蓮ををどさんより但正しき文を出だせ」(御書一二五九頁) ――ことを権力をもつ高位の勢力に寄せて日蓮を脅すよりも、ただ正しい証文を出しなさい――と。 また、「衆生身心御書」では、こう述べられている。 「数百巻のふみをつくり漢土・日本に往復して無尽のたばかりをなし宣旨を申しそへて人を・ をどされんよりは経文分明ならば・たれか疑をなすべき」(御書一五九五頁) ――数百巻の文書を作り、中国・日本を往復して無数の謀をめぐらし、 宣旨(天皇の言葉)を添えて人を脅そうとされるよりも、経文が明らかであれば、だれが疑うであろうか――と。 邪義を権力で押しつけようとする高僧への破折であられる。 数百巻の偽りの文とは、現代で言えば、謀略や売文のための文書にも通じるかもしれない。 ありとあらゆる策略を使い、 はては朝廷の権力まで利用して邪義を押しとおそうとする悪侶らに対し、 大聖人は、《そのような謀略は無意味である。ただ正しい経文を出せばよい。そうすれば一切は明白になるではな いか》と、いわば「王者の論」ではなく、「賢者の論」を用いるよう主張しておられる。 このように大聖人は、つねに「正論」中の「正論」を繰り返された。 これに対し権力者と高僧の返答は、ただ「実力行使」と「策謀」であった。 いつの時代も変わらぬ正法迫害の構図である。 本質を知らず、ただ表面的に見れば、ある意味で、あまりにもまっとうすぎるように、また時には、むなしくさえ 見えたかもしれない。 しかし、その大聖人御みずからの「正義の戦い」ありて、末法万年の道は開かれたのである。 滔々として時は流れる。 人生は、歴史は、長い目で見なければならない。 長い目で見れば、「賢者の論」が必ず勝つ。 「王者の論」「権力の論」は、一時はよいようでも、必ず滅びる。 このことを、大聖人御みずからが七百年前に厳然と証明してくださっている。 そして、この大聖人の御精神のままに、わが仏勅の学会は堂々と「賢者の論」で進む。 【「四・二」記念大田、品川、目黒、川崎合同幹部会 平成三年三月二十七日(全集七十六巻)】 Tweet