【小説「九十三年」革命は死なり】池田先生指導①
投稿者:河内平野 投稿日:2014年11月12日(水)13時40分31秒

戸田先生は厳しかった。
朝から夜中まで訓練また訓練であった。
ともかく鍛えよう、ともかく育てようというお心である。
勉強しておかないと、たいへんであった。

何を聞かれてもいいように、こちらも真剣であった。
世界の一流の小説も、青年部は徹底して読んだものである。

その一つに、ユゴーの『九十三年』がある。
私も幾度となく繰り返し読んだ。

本年六月、フランス文化への貢献を願って、「ヴィクトル・ユゴー文学記念館」がオープンする。
そこには、この『九十三年』の貴重な直筆原稿も展示される予定になっている。

『九十三年』とは、ご存じのように、およそ二百年前の西暦「一七九三年」をさしている。
フランス大革命の渦中である。

本日は時間の都合もあり、詳細は略させていただくが、
当時は、革命政府による恐怖政治が荒れ狂っていた。

すなわち、民衆を苦しめてきた王の権力を革命によって倒したら、
今度は、その革命勢力の側から、恐ろしい独裁権力が台頭してきたのである。

冷厳な歴史的事実である。
あの残虐なギロチン(断頭台)が初めて使われたのも一七九二年。まさにこの時代であった。

処刑につぐ処刑――。
処分につぐ処分――。
革命の《大義名分》のもとに、おびただしい血が流された。
新たな権力のために、無数の正義の人が犠牲にされた。

本来、民衆のため、人間のためにあった「革命」が、いつしか民衆に君臨し、
人間性を窒息させるものへと変わってしまう――。

この《権力への転化》の危険性は、人間の世界であるかぎり、いかなる場合にも当てはまる。
宗教もまた例外ではない。

【第一回第二東京総会 平成三年四月二日(全集七十六巻)】