2014年11月10日 【王者の論と賢者の論】池田先生指導① 投稿者:河内平野 投稿日:2014年11月10日(月)16時39分50秒 さて、『ミリンダ王の問い』という有名な仏教の古典がある。 今から二千百年ほど昔(紀元前二世紀後半)、 西北インドを治めていたギリシャ人の王ミリンダと、仏教僧ナーガセーナの、いわば《対談集》である。 (漢訳『那先比丘経』。仏典として『大蔵経』にも収録されている)。 アレキサンダー大王の遠征以後、インドにもギリシャ人が住むようになり、仏教に帰依した人々も多かった。 東西文明が出あい、たがいに触発しあった時代でもあった。 この《対談集》には「西洋的論理」と「東洋的英知」の興味深い対話が収められている。 中国の常書鴻・敦煌研究院名誉院長と対談したさいにも、仏像の誕生に、ギリシャの芸術・文明が大きな影響を与 えた事実が話題になった。 ともかく、二千百年前の対話が、今も世界の人々を啓発している。 偉大な力である。現代の《売らんがため》の浅薄な本や雑誌とは次元が違う。 本物は、時空を越えて魂を揺さぶる。 つねに時代の先端に、新しい示唆を与え続ける。 私が世界の知性を代表する方々との《対談集》を、一つまた一つと語り残しているのも、 そうした放軌にのっとって「真実」を残したいからである。 にせ物はむなしい。 はかない幻のごとき偽りの言に染まり、巻き込まれては、自分まで幻の迷走の人生となってしまう。 ところで、「対話」の初めに、仏教僧ナーガセーナは言う。 「大王よ、もしもあなたが賢者の論を以って対論なさるのであるならば、わたしはあなたと対論するでしょう。 しかし、(大王よ)、もしもあなたが王者の論を以って対論なさるのであるならば、わたしはあなたと対論しないでし ょう」。 「王者の論」とは「権力者の対話」、権力者の立場からの論ということである。 そこで王はナーガセーナに問う。 「賢者の論」とは何か?。 僧は答える。 「賢者の対論においては解明がなされ、解説がなされ、批判がなされ、 修正がなされ、区別がなされ、細かな区別がなされるけれども、賢者はそれによって怒ることがありません」。 ともに解き明かし、解説し、ともに批判、修正し、こまかく論じるが、決して感情的にはならない、と。 【「四・二」記念大田、品川、目黒、川崎合同幹部会 平成三年三月二十七日(全集七十六巻)】 Tweet