【形は香木、中身は糞の木】池田先生指導
投稿者:河内平野 投稿日:2014年11月10日(月)09時39分1秒

トインビー博士は、《人生の先輩としてのアドバイス》を求める私に、こう言われた。
――私は一個の学者にすぎません。
あなたは、人類のために大きく行動しておられる。
私からあなたに何か申し上げるなど、おこがましいことです――と。

あまりにも謙虚なお姿であった。今でも忘れることができない。
誠実の行動もなく、深き学識もない人ほど、傲慢に人を見くだすものだ。

諸君は、《世界の一流》の高さをめざしていただきたい。
そして《無名の民衆》のなかに、深く心の根をおろして生きぬいていただきたい。
中途半端では、光輝ある「人格」は築けない。

今日、世界は新しき安定の国際秩序を求めている。
平和を願う《庶民の声》の結集、そして《市民の連帯》が、ますます強く求められている。

この意味でも、氏はSGIの民衆運動に注目し、期待しておられた。
大切なのは「人間」である。
「市民」である。
人間主義の市民の世界的輩出である。
私どもこそ、世界を変えゆく《先駆》なのである。

もはや、《もの言わぬ大衆》であってはならない。
一方通行の受け身に甘んじてはならない。

たとえ一人であっても、言うべきことは言い、抗議すべきことは抗議していく。
これこそ真の「人間」である。

そうした主体性のある個人の連帯が、新しき時代の扉を開ける《カギ》である。

カズンズ氏はさらに、こうも述べられている。
――だが「人間同士の新たな結びつき」を創出しようとすれば、
自分たちの集団エゴを「永久保存」しようとする人々からの反発は、避けられない。
閉ざされた世界の利益にこだわる勢力との対立が、必ず起こってくるであろう。
そのとき、この「対立」のなかで勝負を決するものは何か。
それは「庶民の声」である。このときにこそ、その真価が発揮される。

これがカズンズ氏の洞察であり、期待であった。
そこで、氏は続ける。
「いま庶民が必要としているのは、自分の感じること、言いたいことが全世界の前進を助けられるという確信のも
てる励ましです」と。

まさに、このとおりの「励まし」を、日々、私どもは重ねている。
カズンズ氏ご自身も、最後まで「庶民の心」に生きぬかれた。偉大な友人であった。

なお、大聖人は別の御書で、陰で悪行を働きながら形だけ仏道を行じている人のことを、こう述べておられる。
「譬へばくそをほして・つきくだき・ふるいてせんだんの木につくり・
又女人・天女・仏につくりまいらせて候へども火をつけて・やき候へばべちの香なし・くそくさし」(御書一四八五
頁)

――糞を干して、つき砕き、ふるいにかけて、良い香りのする栴檀の木のように作り、
美しい女性や天女や仏を作っても、火をつけて焼けば、ほかならぬ糞のくさいにおいしかしないようなものである
――と。

形は香木でも、じつは糞の木。
形は天女や仏像でも、じつは糞女であり、糞仏である。

焼いてみれば――すなわち時いたれば、悪臭の真実が顕れる。
大聖人は、このように喝破しておられる。
悪への痛烈な批判である。

【「三・一六」記念全国青年部幹部会・第六回中部総会 平成三年三月十二日(全集七十六巻)】