投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月 8日(土)06時39分50秒

 
娘に対する、痛ましいまでの母の愛。
まさに、これを《だし》にした脅迫であった。

純真さで応えれば応えるほど、ますますつけこんでくる悪夫婦。
しかし、いくら脅迫しても、ファンチーヌに金などあるはずがない。
娘のことを思えば、死ぬわけにもいかなかった。

哀れな母は、ついに決心した。「最後のものを売ろう」。
こうして彼女は売春婦となった。

当時はそれ以外に、娘を守る道はなかった。
そして、病身をおして送金を続けた。

《欲》と《力》に狂った人間の心ほど、恐ろしいものはない。
底知れず残酷になれる。
そして残酷である。

限りなく無慈悲になれる。
そして無慈悲である。

今は、ファンチーヌの時代とは、社会も事情も違うかもしれない。
しかし、人間の《魔性》は、つねに、弱い立場の人々に、純真で信じやすい人々にと、狂気の牙を向けている。

私は皆さま方に、断じてそのような目にあわせたくない。
《魔性》の犠牲者を出したくない。
そのような心で、祈る思いで、あえてこの物語をとおして、《真実を見抜け》と語っておきたいのである。

ところで、彼女を食いものにした悪夫婦は、人々からどう呼ばれていたか。
なんと、「身寄りのない子どもを引き取って育てている、奇特なご夫婦だ」と、世間の人はたたえていた。

ファンチーヌが血の汗を流してつくった金を、月々《あがり》として搾り取っていようとは、だれも知らなかったからである。

世間の目とは、かくもいいかげんなものである。
そんな、さかさまの評価に乗せられて、悪に同調し、悪の味方となる人も、なんと愚かなことか。
愚かなだけではない。悪に賛同する人もまた、悪の一味に通じてしまう。
そして、取り返しのつかない不幸への転落が始まる。

舞台は一転する。彼女に救い主が現れた。
ジャン・バルジャンである。

もと《犯罪者》の彼は成功し、市長になっていた。
ファンチーヌがかつて勤めていた工場の所有者でもあった。
彼女がクビになったことを、彼は知らされていなかった。

ある事件(ファンチーヌが市民に侮辱され、被害者である彼女が反対に逮捕されてしまう)から、彼はこの不幸な母の境遇を知った。

【第三十九回本部幹部会・第十六回全国婦人部幹部会・第一回関西代表幹部会 平成三年三月四日(全集七十六巻)】