投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月 7日(金)10時08分33秒
もともと法華経自体が、人を《たぼらかす》ような言動を厳しく戒めた教えである。

安楽行品第十四には、次のようにある。
「若し是の経を説かんと欲せば 当に嫉恚慢 諂誑邪偽の心を捨てて
常に質直の行を修すべし人を軽蔑せず 亦法を戯論せざれ 他をして疑悔せしめて
汝は仏を得じと云わざれ」(開結四五九頁)

――もしこの法華経を説こうとするならば、まさに嫉みと怒りと傲り、
諂いと誑(あざむき、たぼらかし)と邪と偽りの心を捨てて、つねに正直の行を行っていくべきである。
人を軽蔑せず、また法について、たわむれの空虚な議論をしてはならない。
他人に疑わせたり、悔やませたりして、「お前は仏になれない」と言ってはならない――と。

釈尊が三千年前に厳格に説き示したこの教えに反し、
反対に人を《たぼらかす》ようなことがあるならば、
もはや、その人に法華経を説く資格はない。

むしろ法華経の敵である。
経文は厳然としている。
御書の教えも明白である。

こうした偽りの人に、決してたぶらかされてはならない。
だまされてはならない。

私どもは、あくまでも法華経の精神、そして御書の教えにのっとって広宣流布の大道を歩んでいる。
この美しい仏子の世界を、どす黒い策動などで破壊されては断じてならない。

正法を信ずるがゆえに、そうした策謀を鋭く見抜き、
たとえ相手がだれであろうと、敢然と立ち向かっていくことが、大聖人の御精神にかなった行動なのである。

【第三十九回本部幹部会・第十六回全国婦人部幹部会・第一回関西代表幹部会 平成三年三月四日(全集七十六巻)】