投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月 7日(金)10時07分49秒
なかでも邪な宗教の権威は、人々を手のつけられない狂信へとたぶらかしていく。
このことを、大聖人は諸御抄に示されている。

たとえば、念仏の善導や法然らの例を挙げて、次のように述べられている。
「種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし如来の正法を滅す」(御書一二〇九頁)

――種々、人を恐れ従わせる不思議な力を現して、
道理に暗い愚かな道俗(出家と在家)をたぶらかし、
如来の正法を滅する――と喝破されている。

また悪侶の典型を、経文に照らして次のようにも表現されている。
「猟師の目を細めにして鹿をねらひ猫の爪を隠して鼠をねらふが如くにして
在家の俗男・俗女の檀那をへつらい・いつわり・たぼらかす」(御書五五六頁)

――悪侶はあたかも猟師が目を細めて鹿をねらい、猫が爪を隠してネズミをねらうようにして、
在家の男性・女性の檀那(供養を行う人)にへつらい、いつわり、たぶらかす――と。

在家の供養者を獲物のように考える悪侶を厳しく非難されている。
このような既成宗教の悪弊に、真っ向から挑まれたのが大聖人である。
学会もまた、大聖人のこのお心を心として、進んできた。
永遠に《この道》を歩みとおしてまいりたい。

この大聖人のお振る舞いは、
一面からいえば、「民衆を愚かにし、利用する宗教」から
「民衆を賢明にし、強くし、守っていく宗教」への大転換であられたと拝される。

【第三十九回本部幹部会・第十六回全国婦人部幹部会・第一回関西代表幹部会 平成三年三月四日(全集七十六巻)】