投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月 6日(木)11時12分13秒
さて、大聖人は、この時光へのお手紙の結びに、こう仰せになっている。
「されば・ひが事をすべきにはあらず、今はすてなば・かへりて人わらはれになるべし、
かたうどなるやうにて・つくりおとして、我もわらひ人にもわらはせんとするがきくわいなるに・よくよくけうくんせさせて人のおほくきかんところにて・人をけうくんせんよりも我が身をけうくんあるべしとて・かつぱとたたせ給へ」

――したがって道理に反することを、すべきではない。
今さらこの信仰を捨てたならば、かえって人の笑いものになってしまう。さも味方のように見せかけて退転させ、自分もあざ笑い、人にも笑わせようとする奇怪な者たちには、十分に言わせておいたうえで、「多くの人が聞いているところで人を教訓するよりも、まず自分の身を教訓しなさい」と言って、勢いよくその場を立たれるがよい――と。

信念の道を軽々しく捨ててしまう人は、結局、人から笑われる。
たとえ別の人についたとしても軽く見られ、利用されるだけである。

自分を利口だと思い、世の中をうまく渡っていると得意になりながら、じつは苦悩の流転の坂を、果てしなく転がり続けていくのである。

青年期に戸田先生の厳しい薫陶を受け、またこれまで、さまざまな人の姿を見てきた経験からも、私は確信をもってそう言いきることができる。

若き諸君には、絶対にそうした敗北の人生だけは、歩ませたくない。
ともあれ、卑劣、奇怪な策謀に対しては、青年の鋭い目で見破り、鋭い弁舌で、敢然と正邪を明らかにしていく以外にない。

【第四回全国男子部幹部会 平成三年二月十七日(全集七十六巻)】