投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月27日(月)09時55分52秒
誇り――それは魂を支える柱である。

圧迫をはね返すバネである。
誇りをなくした卑屈な人生は寂しい。

権威と権力の奴隷の人生では、何のための宗教か。
いわんや皆さまは、大聖人の真実の門下として、「広宣流布」に生きゆく勇者である。
地から涌き出た不可思議な使命の同志である。
その「誇り」を絶対に忘れず、私とともに、晴ればれと胸を張って、生きぬいていただきたい。

チャップリンは、アメリカに渡り、映画の世界で成功した。
しかし、ぜいたくな暮らしはしなかった。
長い間、質素なアパートや借家住まいを続けた。

撮影所の楽屋も小さく、むさくるしいほどだった。
友人が言う。
もう、こんなに有名になったのだ。
地位にふさわしい部屋を持つべきだよ、と。

すると彼は首を振りながら答えた。
「立派な部屋だと、ちっぽけ放浪者に変装することはむずかしいじゃないか。
僕にはそれに相応した部屋がいるんだよ」(前掲『わが父チャップリン』) ――。

いくら金持ちになったといっても、自分は大衆の一人なのだ。
自分は大衆が喜ぶ、あの貧しい《放浪紳士》なのだ。
ぜいたくになったら、もう演技に《心》が入らなくなる。
これがチャップリンの気持ちだった。
金の魔力に酔わない少欲の彼であった。

彼は、自分自身のことをよく知っていた。
本当に苦労した人は、自分を見つめ、律することができる。
ここにも、チャップリンの偉大さがあった。

他人に苦労させて、その上に安楽に座って人生を楽しむような人は、自分で自分がわからなくなる。
基準が見えなくなる。いつしか「道」を踏み外していく。

【第十五回全国婦人部幹部会 平成三年一月二十三日(全集七十六巻)】