投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月29日(水)09時39分43秒
ところでチャップリンがもっとも尊敬していた人物はだれだったのか。
それは、子息によれば、インドのマハトマ・ガンジーであったという。

その理由は、ガンジーが、立派な生活ができるにもかかわらず、貧しい人々と一緒に、つつましく暮らしているからであった。

彼は、肩書や賞罰も眼中になかった。
映画『サーカス』でアカデミー賞の受賞が決まったとき、こう語る。
「少数の人間の決めた賞など、大した名誉ではありえない。私の欲しいのは大衆の喝采だよ。
その人たちが私の仕事を愛してくれるなら、それで充分だよ」(前掲『わが父チャップリン』)。

少数の人間が、ほめようが、けなそうが、それが何だというのだ。
自分はもっと大勢の人々のために働いている。
その人たちが私の仕事を必要とし、喜んでくれればよいのだ。
民衆こそが審判者なのだ。

民衆の評価と称賛こそが、芸術家の栄誉であり、正義なのだ――。これが喜劇王の思いであった。

また、祖国イギリスから「ナイト」の称号(貴族の証)を贈りたいとの申し出があった。
しかし、彼は丁重に断った。最晩年には、どうしても断りきれず、受けているが――。

彼は言う。
「私は肩書には興味がない。尊敬するのは、その人の業績だけだ」と。
《何の地位か》ではない、《何をしたか》だと。

人々のため、社会のために、どんな貢献をしたのか、それを私は見る、と。
一流の人の目は、みな同様である。

反対に、人の地位や肩書にこだわる人は、相手の立場に応じて傲慢になったり、卑屈になったりする。
権威的であり、反面、だまされやすい。
その意味でチャップリンは絶対に、見かけには左右されなかった。
徹底した人間主義、実質主義の人であった。

皆さま方は、社会的に何か特別な地位や肩書をもっておられるわけではないかもしれない。
特権もないかもしれない。

しかし何よりも、折伏を行じておられる。
日々真剣に正法流布に尽くしてこられた。
これ以上に尊く偉大な《業績》はない。
その事実を、だれよりも、御本仏日蓮大聖人が最大に賛嘆され、お喜びになっておられると、私は確信する。また後世の人類が感謝と感嘆の拍手喝采を送ることであろう。

現に、そうなりつつある。
誇り高き《魂の勲章》――。
その光が三世永遠に自身を飾り、輝かせゆくことを確信していただきたい。

【第十五回全国婦人部幹部会 平成三年一月二十三日(全集七十六巻)】