投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月16日(木)09時35分1秒
先日(十一月五日)、創価大学を訪問された国立インドネシア大学のスユディ学長とお会いした。
学長は第二次世界大戦中、日本軍による占領下で日本語教育も受けておられる。
インドネシアは三百五十年にも及ぶオランダの支配から、一九四九年に独立を勝ち取っている。

会談の折、祖国の独立の歴史をどうとらえておられるか、尋ねた。
「日本の学生や青年たちのためにも、証言として残させていただきたい」と。

学長は、力をこめて答えられた。
「祖国の独立。これは、今ある私のすべてです」
「独立によって私は、自由を得ました。大学にも学べました。医学や微生物学の勉強もできました。ここにいる妻と結婚もしました。こうして創価大学を訪れ、創立者、学長をはじめ皆さんとお会いできたのも、独立のおかげです」と。

私は感銘した。「自由の喜び」を率直に、ありのままに語ってくださった。
自由――それは何ものにもかえがたい宝である。
自由を得た心は、澄みきった青空のように晴ればれと輝く。人生の勝利への限りない飛翔の力が満ちてくる。

インドネシアの独立の道のり――。それは死を賭した戦いの連続であった。
投獄、追放、流刑、活動停止など、権力側は、ありとあらゆる弾圧と策謀で、自由を求める人々を踏みつぶそうとした。

しかしその時、何ものにも屈せず、先頭に立って戦ったのが、学生を中心とするインドネシアの若き群像であった。
二十世紀初め、インドネシア国内には、「若いジャワ」「スマトラ青年団体」「スンダ青年団」など、数多くの青年集団が結成された。
いずれも、それぞれの島や地域の名前をつけている。
彼らは英知の言葉で、《自由の尊さ》《民族の誇り》を語りに語りぬいた。

青年たちの行動は、一九二八年(昭和三年)、「青年の誓い」として一つの結実をみている。
(「青年の誓い」は、一九二六年の青年会議で採択。《ただ一つの祖国インドネシア》を力強く承認した「誓い」は、全土の青年たちの心を鼓舞し、独立への機運を高めた)

イスラム教徒による解放運動なども含む、こうした「インドネシア・ルネサンス」の流れは、青年の手で育まれ、青年の叫びによって広がり、青年のパワーによって時代を変えていった。

闘争の渦中、権力によって捕らわれ、生命を落とした一人の青年に贈られた詩が残っている。君の戦いの炬火を消しはしない、と。

おまえは闘った、生命かけ、光輝ある仕事に、
我らは刻む、希望と生命みつ栄光の言葉、
おまえの夜に、炬火は燃やされ、
我らは、次の世に炬火を受け継ぐ。
(「インドネシア現代史」中央公論社)

信念に殉じた若き魂をたたえ、その《革命の炬火》を継ぎゆく誓いをうたいあげている。
私どもも、「創価」の平和革命の炎を高らかに掲げ、今世の使命に悔いなく走りぬいてまいりたい。
世代から世代へと継ぎゆくその炎が、やがて《全人類の幸福》の大光となって、燦然と輝きわたることを確信して。

【「創立の日」記念SGI代表勤行会 平成三年十一月十八日(全集七十九巻)】