投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月13日(月)23時52分59秒
私どもは、どこまでも「御本尊根本」「御書根本」である。
その意味から、本日も御書を拝したい。

大聖人は、「行敏訴状御会通」で次のように仰せである。
「当世日本第一の持戒の僧・良観聖人並びに法然上人の孫弟子念阿弥陀仏・道阿弥陀仏等の諸聖人等日蓮を訴訟する状に云く早く日蓮を召し決せられて邪見を摧破し正義を興隆せんと欲する事云々、日蓮云く邪見を摧破し正義を興隆せば一眼の亀の浮木の穴に入るならん、幸甚幸甚」(御書一八〇頁)

――今の世で、日本第一の持戒の僧といわれる良観聖人、ならびに法然上人の孫弟子である念阿弥陀仏、道阿弥陀仏などの諸聖人らが、日蓮を訴状した文書には、「早く日蓮を呼び出し、裁いて、その邪見を砕き破り、正義を興隆されることを望む」とある。
それに対し、日蓮はこう言おう。
「邪見を砕き破り、正義を興隆すれば、一眼の亀が浮木の穴に入るような千載一遇のことであり、こんな幸いはない。こんな幸いはない」――と。

ここでいう、良観をはじめ、法然の孫弟子たちは、当時の宗教界の権威者である。
その権威をカサに着た悪侶によって、もったいなくも、御本仏大聖人御みずからが、大悪人のごとく訴えられたのである。

悪侶たちは、この文書を出せば、大騒ぎになるだろう、大聖人が驚かれ、あわてふためいて謝罪されるとでも思ったのだろうか。

「脅し」は権力者の常套手段である。
《脅す》人は、絶対に仏法者ではない。
悪逆の権力者か、残酷な暴力者であろう。

人を「切る」などということ自体、「人間蔑視」「人権弾圧」以外の何ものでもない。
宗教というものは、人を切るものではない。
人を救うものである。

ともあれ、悪僧らの恐喝に対して、当然のことながら、大聖人は微動だにもされず、むしろ、正邪を決する千載一遇の機会と喜んでおられる。

堂々と「真実」を明らかにしよう!
極悪の謀略をすべて打ち砕いてみせる――との悠々たる御境涯であられた。

権威の僧侶たちから大迫害を受けられた大聖人――うれしいことに、また不思議なことに、学会は、この大聖人の御留難の道に、まっすぐに連なって歩んでいる。
この《大聖人直結》の誉れも高く、堂々と「創価の道」を歩みぬいていただきたい。

【大学会・渋谷区合同記念総会、県・区代表者会 平成三年十一月九日(全集七十九巻)】