投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 9日(木)14時35分24秒    通報
大聖人は、こうした権力による弾圧の機会をとらえ、幕府に対してふたたび仏法の正義を訴えようとされたのである。
難の時こそ、正義を主張すべき時である。
勇んで戦う時である。

牧口先生は、獄中にあってさえ、検事を相手に一歩も退かず、学会の正義を叫び続けておられる。

鎌倉に着いた二十人は、横暴な取り調べを受け、「法華経を捨て、念仏を唱えるという起請文(誓約書)を書けば、罪を許してやる」と威嚇されたようである。

これに対して大聖人は、
「彼の大進房や弥藤次らが、行智にそそのかされて、暴行・殺傷事件を起こしたのが事件の真相である。
それを、被害者側(の農民たち)が謝って起請文を書くなどということは、『古今未曾有の沙汰』であり、いまだかつて聞いたことがない」と仰せになり、絶対に起請文を書いてはならない、と教えられている。(御書一四五六頁)

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(被害者に謝罪させる、といえば、宗門からも「謝罪要求書」というものが出された。
弁護士の小谷野三郎氏は、未入会であるが、宗門の強圧的なやり方について、憤って、こう語っている。
「今、宗門がこのように発展しているのは、まさに池田名誉会長をはじめ学会の皆さんが、宗門を命懸けで守ってきたことによることは、言うまでもありません。《親の心、子知らず》という諺があるが、《子の心を知らない親》があってはなりません。信徒の心を知らない宗門であってはならないと思います」

「信徒に尽くすだけ尽くさせておいて、都合が悪くなったら、《ハイ、さようなら》といったことは絶対に許されないことと思います。『宗門』のやり方が間違っていたらこれを批判し、正すことはまさに信徒の義務ではないでしょうか」
「聖教新聞」一九九一年二月十八日付。

宗門のやり方は、平左衛門尉らの手口とまったく同じなのである)
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【関西最高協議会 平成三年十月十七日(全集七十九巻)】