投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月10日(金)15時33分53秒    通報
釈尊が入滅したのは二月十六日。
釈尊の死を聞いた弟子たちは号泣し、またある者はじっと悲しみに堪えていたといいます。
ところが、その中に一人の年老いた弟子がいて、考えも及ばないような暴言を吐く。

「友よ、悲しむな、我らは、かの大沙門(釈尊)より脱することを得たのである。
『これはダメ』、『あれもダメ』といって、われらは苦しめられた。
だが、今や我らは、やりたいようにやれるのだ」と。

普段は、いかにも釈尊を尊敬しているようでありながら、また法を厳格に修行しているようでいて、その内面では、自分のエゴや狭い視野が根本になっている場合がある。
そういう心の本質が、釈尊入滅という場面に遭遇したとき、ふと無意識のうちにあらわれてきたのでしょう。
この年老いた弟子の話は、それを物語っています。

その暴言を心よからずに聞いた迦葉尊者は、
「友よ、我らは師匠の説いた教法と戒律を結集しょう。まちがった法が、はびこるから正法がおとろえ、まちがった戒律があるから正しい戒律がすたれ、非法を説く者が強く、正法を説く者が弱くなり、非律を説く者が力を得、正律を説く者が力を失うことがないように、先んぜねばならぬ」(南伝大蔵経 第四巻)といわれています。

そして、その後に経典の結集に力を注ぐことになるのです。
釈尊は、当時の弟子たちにとっては、人生の教師であり、親のように慈しみ深い存在であると同時に、教団の統率者でもありました。
多くの弟子たちは、畏敬と尊敬の念をもってしたがっていましたが、なかには出世間の厳格な修行に堪えられず、世俗の諸惑に負ける者もあったとされています。