投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 9日(木)14時34分31秒    通報
鎌倉で捕らわれている信徒を心配され、《きっと寒かろう、さぞやひもじかろう、どれほど恐ろしいことであろうか》と、深く思いやられながらも、成仏のためには断じて負けてはならない、挫けてはならない、と激励される大聖人――。

その大慈悲に感動し、確信を失わなかったからこそ、だれ一人、退転する者がいなかったのであろう。
そこには、深く清らかな《師弟の絆》があり、《信仰の真髄》があり、《生命の連帯のドラマ》があったと拝されてならない。

それにひきかえ、《信徒の信心のことなど、どうでもよい、ただ言われるとおりに破和合僧に励め》――などという、冷酷で無慈悲、傲慢の姿があるとすれば、《御本仏の世界》と対極の《大魔の使い》の姿であろう。

日興上人は、弥藤次の訴状の内容がわかると、それに対する申状(幕府への上申書、反訴状)の原案をしたためられ、身延の大聖人のもとへ届けられ、御指示を仰がれた。

日興上人の文案は――弥藤次の訴状に対し、それがいかに不当であるかを事実の経過を追って明らかにし、捕らわれた二十人の無実を主張、また行智の悪行の数々を逐一指摘して、その罪を正しく裁いてほしいと訴えたものであった。

大聖人は、この文案を後半として、前半を書き加えられた。すなわち、冒頭から「此等の子細御不審を相貽さば」(八五二頁)までの前半を大聖人が執筆され、「(不審者)高僧等を召され」から最後までの後半を日興上人がしたためられている。

まさに、《師弟一体》《師弟共著》の御抄なのである。
これが「滝泉寺申状」(原文は漢文)である。
申状では「立正安国論」の主張を繰り返され、日秀、日弁らが日蓮大聖人の弟子となって南無妙法蓮華経と唱えることは、国を思うための行為であること、不審があれば高僧と公場で対論させるべきことを訴えられている。

そして「謀案を構えて種種の不実を申し付くるの条・豈在世の調達に非ずや」(御書八五三頁)
――はかりごとを構えて、種々のでたらめを訴えるというのは、釈尊在世の提婆達多(調達)と同じではないか――と。

すなわち、堂々と公開の対話ができないで、謀略ばかり考えているのは「提婆達多」の存在であるとの仰せである。

【関西最高協議会 平成三年十月十七日(全集七十九巻)】