投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 9日(木)14時33分33秒    通報
さて、二十人に着せられた罪状は、当時の法律(貞永式目)によれば重罪にあたり、検断沙汰(刑事事件)ということになる。

そのため侍所の管轄下におかれ、ただちに二十人は鎌倉へ送られた。
おそらく侍所の所司(次官)である平左衛門尉頼綱の指示であろう。
二十人が鎌倉に着いたのは、今より冬の気温が低く、雪も多く、はるかに寒かったようである。
また、ろくに食事も与えられなかったと考えられる。

大聖人は、十月一日、門下一同に対して「聖人御難事」(御書一一八九頁)をしたためられ、鎌倉の四条金吾に送られている。

ここで大聖人は、「出世の本懐」であられる大御本尊御建立の日が近いことを宣言されたのである。
このことは、熱原法難が、たんに一地方の、一部の信徒の問題ではなく、門下全体にかかわる事件であり、大聖人の一代の御化導のうえで、重大な意義をもっていたことを示していると拝される。

その中で、大聖人は仰せである。
「彼のあつわらの愚癡の者ども・いゐはげまして・をどす事なかれ、彼等にはただ一えんにおもい切れ・よからんは不思議わるからんは一定とをもへ、ひだるしとをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん地獄ををしへよ、をそろししと・いわばたかにあへるきじネ■にあえるねずみを他人とをもう事なかれ」(御書一一九〇頁)

――かの熱原の愚直な者たちには、強く励まして、脅してはならない。彼らには、ただひたすらに思いきりなさい、良い結果になるのは不思議であり、悪い結果になるのは当然と思いなさい、と教えなさい。
空腹に耐えられないようだったら、餓鬼道の苦しみを教えなさい。
寒さに耐えられないというなら、八寒地獄の苦しみを教えなさい。
恐ろしいというのなら、鷹にあった雉、ネ■にあった鼠を他人の事と思ってはならない、と教えなさい――と。

【関西最高協議会 平成三年十月十七日(全集七十九巻)】