投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 8日(水)18時46分6秒    通報
社会の大多数は、いわゆる「庶民」である。
その民衆が、押し付けられた宗教的権威には何の実体もなく、かえって自分たちを搾取し、苦しめる存在にすぎないと見抜いた時、偉大な変革が始まる。

いつの時代の、いかなる宗教であれ、「改革」を必要とする場合の主要テーマは、つねに「目覚めよ、民衆」「反省せよ、聖職者」なのである。

しかし、権威によって立つ聖職者が、みずから目覚めて自己を変革することは、歴史的に見てもきわめてむずかしい。
まず、民衆が自覚し、目覚めることである。
正義によって「眼」を開いた、民衆の勇敢な前進があってこそ、大聖人が教えられた偉大な宗教革命の夜明けが始まる。

行智は、滝泉寺から大聖人門下を追放したものの、なんら効果がないばかりか、いっそう熱烈に弘教の戦いが展開されていることに驚いた。
このままにしておけば、自分の地位が危ない――彼は、悪知恵の限りを尽くして役人を抱きこみ、仲間を集め、《反法華党》の形成をはかった。そして、なんとかして弾圧しようと躍起となったのである。

《魔の集団》《悪の野合》――群れるのも、正法破壊の勢力の特徴である。
行智は、まず神四郎兄弟の長兄の弥藤次入道に目をつけた。
彼は念仏の在家の入道だったようで、日亨上人は「強欲奸智の曲者で村での口利」(同前)と記されている。
欲深く、悪知恵にたけた村の顔役だったようだ。

弥藤次は、日ごろの言動や性格から、何かと神四郎たち兄弟と対立することが多かった。
弟たちが正法を信じてからは、家兄の権威をもって反対し、もとの念仏信仰に戻させようとした。
しかし反対に、弟たちから「念仏は無間地獄の業である」と破折された。

その悔しさもあってか、弟たちを退転させようと機会をうかがい、行智の甘言に誘われて、その一味になったようである。
不信と不安、嫉妬と憎悪をかきたてて、親しい人の間を裂き、信仰者のつながりを内側から分断しようとするのが、魔の策略の常である。

さらに行智は、正法の信仰者のなかから、信心弱く、同志に怨嫉をいだいていた不満分子などを、脅したり、利益で誘ったりして退転させ、反逆させている。

《弱いところ》ばかり狙ったのである。
同様に、入信間もない大田次郎兵衛尉親昌、長崎次郎兵衛尉時綱らの武士や、日興上人の弘法の応援に派遣されていた三位房などの僧侶が、退転し、正法を弾圧する側にまわっている。

【関西最高協議会 平成三年十月十七日(全集七十九巻)】