投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 8日(水)18時43分54秒    通報
行智の迫害は、建治二年(一二七六年)ごろのことと考えられる。
その後、少輔房日禅は坊を出て河合の実家へ移った。
一方、下野房日秀と越後房日弁の二人は、行くあてもなかったので、坊を明け渡したかたちをとって、なお滝泉寺内に隠れ住む。

しかし、折伏・弘法の戦いは、少しも止まることなく、熱原から富士地方一帯へと続けられたのである。
難に屈せず、民衆のなかへ飛び込み、人間のなかへ分け入って、邪義を打ち破り、正法を教え、一人また一人と救っていく――こうした日興上人とその門下の姿こそ、真の仏法者であり、真の僧侶であるといえよう。

大聖人は、末法の僧侶のあり方について、「末法の法華経の行者は人に悪まるる程に持つを実の大乗の僧とす、又経を弘めて人を利益する法師なり」(御書五五六頁)

――末法の法華経の行者は、人に憎まれるほどに受持し、実践していくのを、真実の大乗の僧とするのである。また(それが)経を弘めて人を利益する法師なのである――と仰せになっている。

難にも遭わず、折伏もせず、民衆のために尽くそうともしない僧侶に、どうして仏弟子の資格があろうか、との大聖人の厳しい戒めである。

【関西最高協議会 平成三年十月十七日(全集七十九巻)】