2014年9月11日 投稿者:新宿A 投稿日:2014年 9月11日(木)17時48分0秒 通報 平成22年9月9日 午前10時00分 被告矢野代理人(弘中惇一郎) 本件は,週刊新潮,平成20年5月22日号の記事についての名誉毀損,損 害賠償等請求事件なんですが,この週刊新潮の記事を出版し,出したのは新 潮社ですよね。 新潮社と理解しております。 矢野さんは,それについてどういうふうに関与したからいけないということ なんですか。 矢野さんが証言をされて,私が人命にかかわるようなことになる,ま た,息子がどうなってもいいのかという発言をして,矢野氏及び矢野 氏の家族に危害が及ぶような脅迫を感じたので,評論家活動の停止と 手記の謝罪を認めさせられてしまったというふうに言われたというこ とです。 例えば,矢野さんが,新潮社に何か持ち込んだとか,あるいはインタビュー に応じて答えたとか,こういうことなんでしょうか。 そういうふうに理解しております。 甲1号証の週刊新潮の記事によりますと,この人命にかかわるかもしれない のところは,訴状にこう記されていると書いてあるんですが,週刊新潮は, 訴状を紹介したと。矢野さんは,訴訟を起こしたと。それだけのつながりで, どうして矢野さんに責任が生じるんですか。 正確に記事を見させていただければと思いますが。 甲第1号証(「週刊新潮社」平成20年5月22日号)を示す 今申し上げたのは,この赤線を引いたところです。 このかぎ括弧は,矢野氏の発言ではないでしょうか。 訴状の中に,そういうことがあるということを,週刊新潮が紹介したわけで すね。 しかし,これは矢野氏の発言ではないですか。 訴状請求原因の6ページ,第3によりますと,矢野氏の責任として,虚偽事 実を記載した訴状を,被告新潮社に提供したと,これが責任の原因として書 いてあるわけですが,矢野さんが新潮社に訴状を提供したという事実はあっ たんですか。 どういう趣旨のご質問だか,よく分かりません。 あなたは,原告で訴訟を起こされているわけですけども,矢野さんが虚偽事 実を記載した訴状を新潮社に提供した事実があるかどうかということは,何 かご存じなんですか。 ・・・よく分かりません。 この問題になっている訴状というのは,先ほど,7人訴訟という言葉があり ましたけども,学会をはじめ,多数の方を被告にした事件の訴状のことです よね。 もう一度,記事を見せていただければと。 本件では,訴状に,別件の訴状にそういう命にかかわるかもしれないという ようなことが書いてあると,それが週刊新潮に紹介されたから名誉毀損だと いうような構造になっているわけですが,そのもとの訴状,つまり,いわゆ る7人訴訟ですか,その訴訟があるということはご存じですよね。 はい,私も原告になっておりますので。 その7人訴訟と本件のこの訴訟とは,訴訟代理人はかなり共通しているわけ ですが,ほかの方々についての訴状の記述ということは問題にならなかった んですか。この本件訴訟の提訴の経過で。 私は,この週刊新潮記事について,少なくとも私が矢野氏について人 命にかかわるとか,それから,息子さんは,海外で立派な活動をして いると,息子がどうなってもいいのかというふうに脅迫したというふ うに読める記事,これが私の名誉を毀損したということで訴えたとい うことです。 ほかの方々は,その週刊新潮の記事に関しては,自分も名誉毀損訴訟を起こ したいということはなかったわけですか。 それは,分かりません。 甲第89号証(陳述書)を示す これによりますと,流れとしては,まず関西の青年部の方が,関西青年部総 会を開催する関係で昔の歴史を調べていて,その中で矢野さんについていろ んな問題を知ったと。それを森井さんを通じて,弓谷さんにお伝えして,弓 谷さんがいろいろとお調べになって,その上で谷川さんに問題提起をしたと いう流れですよね。 そうです。 最初に,森井さんに伝わるまでの,その青年部総会開催のために歴史を調べ て矢野さんのことをいろいろと調べたというのは,どなたなんですか。今, 申し上げたとおり,関西の青年部のほうで,関西青年部総会の準備の過程で いろいろと歴史を調べていって,問題点を気づいたという流れになってます が,その方のことについては,特に名前が出てないものですから。言ってみ れば,森井さんに問題提起をした方はどなたですか。 それは,関西青年部はたくさんおりますので,私は森井氏,それから 弓谷氏等から話を聞きましたけれども,大きな方面の青年部の総会を 迎えるスタッフですので,いろんなメンバーが調べたというふうに, これは推測ですけれども,思います。 具体的にはお聞きになってないということですね。 氏名とか,そういうことは聞いておりません。 弓谷さんは,谷川さんの陳述書ですと,精読した資料として雑誌,新聞等と 書いてありますが,それは過去の雑誌や新聞を精読する方法で調査をしたと いうことなんですか。 いや,いろいろインターネットを調べたり,青年部ですので,いろん なことで調べたというふうに思います。 どういうものを調べたかというのは,お聞きになってない。 いや,全部を見たわけではありませんけれども。 新聞,雑誌等が,かなり古いものから全部保管してあるというのは,学会で はどこに保管してあるんでしょうか。端的に言って,関西のほうにございま すか。 関西にもある,編集に行けば置いてあると思います。 編集というのは。 聖教新聞社の編集局がありますので。 関西の。 はい。 大きな資料室というのは,東京にあるんではないですか。 いや,関西も一番大きな支社ですので,当然,スタッフもおりますし, 資料室もございます。 この政教一致というご批判をいただいているが,確かに状況を見るとそう言 われても仕方がないと,これが手記の中でも問題箇所として取り上げられて いるわけですが,ここで,矢野さんのほうで間違っていると,もっと強く言 いえば背信行為に当たる行為だというのは,政教一致という批判があると, こういう認識を持っているということなのか,それとも,政教一致という批 判をいただいてるは云々ということを,活字にして出したことがいけないと いうことなのか,つまり,事実認識が間違っているということなのか,それ とも,こういうことを世の中に出版して出したことがいけないというのか, それはどちらなんでしょうか。あるいは,両方なんでしょうか。 これは,先ほど申し上げましたとおり,今回,青年部がこの手記につ いて問題にしたのは,タイミングと内容と媒体ということを申し上げ ました。で,矢野氏は,先ほど話題になりました恩義書面の中でも, 竹入氏が,党と学会の関係について,元委員長という立場で語れば, 誤ったことでも世間は誤解しかねないと,党史をゆがめていると,ご 白身がそういうふうに書いておられるわけで,あの平成5年9月,8 月に細川政権が誕生して,自民党が38年ぶりに野党に転落をしたと。 細川政権の要である公明党と創価学会の間の問題をはじめとして,攻 撃材料を探しているという中で,ご自身が竹入元委員長の回想録につ いて誤りがあって,それでも元委員長が語れば世間は誤解をしかねな いというふうに認識を持っておられる方が,あえて,そういう記述を されて,その後,それは編集部の間違いであるとか,もともとそう思 っていたとか,いろんなことを言われると。そのどういう意図をもっ て,当時,月刊文藝春秋にこの手記を掲載をされたのかという,その 意図というものを明らかにしたいと。そのことについて矢野氏は,自 分は学会員だし,学会員として生涯やっていきたいというふうに言わ れているわけですから。もし,そうであるならば,その当時,どうい う意図をもってこの手記を書かれたのか,そのことについて,現在, どう考えておられるのかということを確認することなくして,ともに 学会員としてやっていくことはできないというのが,私たちの考え方 でしたので,どういう意図をもってあのときに,しかも矢野さんとい うのは,先ほど申し上げましたとおり,政界仕掛人という政局の読み ということについては定評のある方だったわけですから,自分がその 時期にその手記を書けば,どういう展開になるかということも十分ご 存じであったと。さらに言うなら,執筆された時期というものを推測 すると,これは9月10日号ですので,おそらくは,それより前に執 筆をされなければ印刷をして世間に出回るということもないはずです ので,矢野氏は,この平成5年6月に議員を引退されているわけです ので,その矢野氏が当時の月刊文藝春秋,面談でも話題になっており ますけれども,矢野氏が3回手記を掲載された後,学会を恐喝した山 﨑正友元顧問弁護士が2回手記を掲載して,その後,また矢野氏が4 回手記を掲載していると。しかも,その間にこの山﨑正友顧問弁護士 は,矢野氏のこの月刊文春という媒体を選んだ勇気を賞賛したいとい うようなことを書いているわけですね。そういう総合的な状況を考え ると,本来関西の同志に引退したら,地元に戻ってきて,皆さんとー 緒に戦いますと,本当にお世話になりましたと,その恩義を返してい きますというふうに言われていた矢野氏の言動としては,極めて不可 解であるし,そこに一定の意図がうかがわれると,その問題をそのま まにして,中途半端にしておくわけにはいかないというのが,青年部 の問題意識だったということです。 甲50号証ですと,次の点は間違いですとしてあって,今おっしやったよう なタイミングであるとか,政治状況であるとか,そういうことは一切ないわ けですが,それはどうしてなんですか。 それは,面談の際に,一つ一つ確認をさせていただきました。 5月14日の面談というのは,何時から何時まで行ったのですか。 8時半から10時ごろまでというふうに記憶しております。 大体,そういう予定時間だったわけですか。 いえ,私たちは,余り遅くなっては申し訳ないと思っておりましたの で,区切りがついたところでというふうに思っておりました。最初か ら何時間ということはありませんでしたけども,世間の常識がありま すので,そんなに遅くまではと思っておりました。 始まる時間は8時半と決めてあったわけですか。 それは,長谷川副会長が連携をとっていただいて,8時半になったと いうことで連絡がありました。 あなたは,何時ごろ,この戸田記念国際会館に行ったんですか。 少し前に,そうですね,20分ぐらい前ですか。余り明確に記憶して ませんけれども,間に合うように,遅れないようにと思ってまいりま した。 始まるまでに,5人の青年部の方で何か打合せはしたんですか。当日です。 当日は,ばたばたしておりましたから,配席を決めたぐらいだったと 思います。 この面談当時,矢野さんが73歳であるということは知ってましたね。 はい。 あなたは,当時,何歳だったんですか。 49歳ですか。 ほかの方は,あなたよりもっと若いわけですか。 そうですね,私より若いです。 そうすると,40代前半とか,そのあたりですか。 そうですね,若干年代にばらつきがありますが,40代,30代もい たかもしれません。 矢野さんが,この日はヨーロッパから帰国して,直行して来るんだというこ とは知ってましたか。 いいえ,13日にお帰りになるということで14日になったというふ うに思っておりました。 14日の会談を,面談を始める時点では知ってたんじゃないですか。 いいえ,面談の中で,たしか矢野さんが,実は今日帰ってきたんです というようなことを言われたような記憶がありますけれども。 それじゃ,録音されているわけですね。 ええ,録音されていると思います。 谷川さんは,そのヨーロッパ等の海外に旅行したご経験はありますか。 ヨーロッパには,行ったことはありません。 海外旅行のご経験はある。 はい。 時差ぼけということは,分かりますか。 具体的な経験としては,私は行った先が,比較的アジアが多いもので すから,白身の経験としてはありませんけれども,一般的に時差ぼけ があるというのは,私,大学を卒業して商社に勤めましたので,総合 商社におりましたので,時差ぼけというのがあるということは知って おります。 73歳という年齢の方が,海外から帰った直後であるとなると,かなり精神 的,肉体的には疲れているだろうということは理解できてましたか。 そういうこともあるかなと思っておりましたけれども,大変お元気で おられて,まあ,実際には面談が10時前ぐらいまでなったというこ とです。 谷川さんの陳述書の17ページで,5月14日の面談は,矢野氏が帰国後, 間もない時期の夜に行うものであるとお書きになってますから,その点は認 識されておったわけですね。 はい。 矢野さんに対しても,お疲れでしょうから,例えば1時間程度で切り上げま すとか,何時ごろには終わりますとか,そういうことはおっしやらなかった んですか。 帰国直後でお疲れでしょうからということを申し上げた記憶がありま す。ただ,それで,何時間で終わりましょうとかって,最初の段階で どういうお話になるかも分かりませんでしたので,それこそもう短く ということもありますし,多少時間かかるということもあると思いま したので,最初の段階では申し上げませんでしたけれども,一区切り ついたところで,もう海外からお帰りでお疲れですので,これを第1 回としてまたやっていきましょうというようなことは申し上げたとい う記憶があります。 その面談の冒頭に,お疲れでしょうから体調悪かったらおっしやってくださ いとか,お疲れでしょう,申し訳ありませんとか,そういう趣旨のことをお っしやったことはあるんですか,ないんですか。 初めてお会いするということで,そこまで申し上げたことありません でした。 本件では,面談の状況は録音されているわけですが,これを録音するという のは,いつ決めたことなんですか。 前日か,前々日に,青年部から面談の目的が平成5年当時,矢野氏が どういう意図でこの手記を書かれたか,そしてそのことを,今,どう 考えているのかということが面談の目的なので,青年部としては正確 な記録を残しておきたいので録音したいという話がありまして,そう かということで了解をしました。 事柄が,やりとりを正確に記録するべきことだったわけですね。 いや,青年部が正確に記録しておきたいというふうに,私に言ってき たということです。 谷川さんも,そのことをそうだというふうに理解されたわけですね。 まあ,青年部がそう言うなら,それでいいんではないかというふうに 思いました。 つまり,録音すべきだと思ったわけですね。 録音していいというふうに考えました。 録音機の種類について,原告から出ている書類ではSONYのMZ-B10 0とありますが,それはご存じでしたか。 いや,私は機種までは知りませんでしたけれども,録音するというふ うに聞いておりました。 これは,だれの所有の録音機なんですか。 これは。弓谷氏のものだと思います。 それは,どうして分かるんですか。 弓谷氏が持っておりましたので,だれからか借りたものかもしれませ んけれども,弓谷氏が持っていたので,弓谷氏のものというふうに, 私が思っているということです。 1台だけだったわけですね,録音に使ったのは。 そこで1台だったかどうかということを,そのときは知りませんでし たけれども,音声録音は,関西の森井氏も関西の記録としてというこ とで,録音したというふうに言っておりました。 森井氏と弓谷氏と別々に2台で録音したんですか。 というふうに聞きました。 本件では,反訳の説明として,SONYのMZ-B100とありますが,ど ちらも同じ機種なんですか,そのもう片方の森井氏が使ったのは違う機種な んですか。 いいえ,ですから,私は機種までは分かりません。 見て同じものかどうかというのは,分かりませんでしたか。 いや,私は現物は見ておりませんので。 これは,テーブルの上に置いて録音したんですか。 テーブルの上には置いてありませんでした。 どういう方法で録音したんですか。 いや,そこまではちょっと私,確認をしませんでした。 矢野さんには,録音しますよと,これは重要なやりとりですからということ はおっしやったんですか。 いいえ,申し上げておりません。 なぜですか。 録音をするということを申し上げると,固くなってなかなか率直な話 合いができないんじゃないかなというふうに思いましたので,録音し ないでいいというふうに思いました。 今日,法廷なんかでも証言は録音されてますが,重要なことを責任をもって 言うというのと,別に録音するとは矛盾しないんじゃないですか。 今回の面談について,率直に話合いをするために申し上げる必要はな いというふうに私は思いました。 それでは,面談が終わった後で,実は録音してますと,2台ありますと。で すから,矢野さんのほうでも1台お持ちになって,確認していただいても結 構ですとか,あるいはコピーしても結構ですということはおっしやったんで すか。 いいえ。 矢野さんのほうでは,録音されたことも分からない,それから,それはその 後、どうなったかも分からないという状況ですか。 私たちは,率直な面談のためには録音をすることを申し上げないほう がいいと判断しましたけれども,話合いが極めて有意義に終わりまし たので,録音したことを後からどうこうというようなことは思いつき ませんでした。 発言内容がねじ曲げられて伝えられると困るということが録音の一つの目的 だとおっしゃったわけですが。 いいえ,私はそうは申し上げてません。 録音しとかないと,後から矢野さんが発言内容をねじ曲げて伝えると,危険 性があるということは思わなかったんですか。 いや,それで私はねじ曲げて書くことはしませんねと,今日の面談の 内容について,また文春手記のようにねじ曲げて書くことはありませ んねと,それで念を押させていただきましたので,それについてきっ ぱりと書きませんというふうに明言をされましたから,それはその矢 野氏の言ったことを信じたということです。 矢野さんも,その日は疲れているわけですから,後で何を言ったか思い出せ ないと,では困るから,ちゃんと録音してありますからよく聞いてください ねと,そういうようなことは配慮しなかったんですか。 ですから,申し上げたとおり,率直に話合いをするためには,申し上 げる必要はないと思ったということです。 終わった後も,そういうことを考えなかったわけですね。 はい。 この録音機が,どういう機能がついているものかと,例えば,一時停止の機 能があるかとか,会議用と,それからインタビュー用との切替えができるか とか,そういったどういう機能があるかということは,ご存じでしたか。 いや,私,録音機にはそんなに詳しくないものですから,それから, 現物を見ておりませんので,どういう機能がついてたかというのは, ここで申し上げる知識ありません。 内蔵マイクを使ったのか,それとも,外に出すタイプのマイクを使ったのか ということも分からないわけですね。 分かりません。 この録音物は,弓谷さんと森井さんが,それぞれご自分で持ち帰られたわけ ですか。それとも,どこかにお出しになったわけですか。 杉山青年部長が保管したというふうに聞きました。 2つともですか。 はい。 それは,どうしてなんですか。 どうしてか分かりませんが,杉山青年部長が,青年部長ですので,青 年部の責任で保管したということだと思います。 さっき,森井さんですか,ご自分で翌日の青年部総会に使いたいと。 いいえ,翌日の青年部総会に使いたいというふうに申し上げたことあ りません。 森井さんは,何のために録音したんですか。 関西として記録をとっておきたいと。 とすると,森井さんは,杉山さんに渡さないで,自分が持っていくというこ とでもないんですか。 私か聞いたのは,杉山青年部長が責任をもって保管していますという 話を聞いただけで,具体的に,どこにどういうふうにとか,だれが持 っているとかいう話は聞いておりませんので,その間の経緯は分かり ません。 この録音したものを,再生して聞いたことは,谷川さんはあるんですか。 私は,今回の反訳書が5月末に私のもとに届けられましたので,その ときに,取り寄せて聞きました。 その間は,聞いたことないわけですね。 はい。 その間,杉山さんがずっと持っていたのか,あるいはだれかほかの手に渡っ たかというのは,ご存じなんですか。 いや,杉山君が保管しているというふうに聞いていたということです。 裁判所に出てる録音データ並びにその反訳は,録音者は弓谷さんになってい るんですが,弓谷さんというのは,今,学会にいらっしゃるわけですか。 別の会社に勤めております。 学会にいらっしゃるんですか。 学会員としては。 学会の何とか部長とか,そういう役職にあるわけですか。 いや,職員ではなく,一般の会社に勤めております。 当時の役職ではなくなったということですか。 ええ,もう5年たっておりますので。 弓谷さんを呼んで,さっきおっしゃった録音の仕方とか,録音機の機能とか, そういうことを確認することは可能なんですか。例えば,裁判所に呼んでき てお聞きすることは可能かどうか,今の職場の状況とか,現在の学会との関 係からお伺いしているわけですが。特に学会との関係は,当時と変わらない ということですか。 ちょっと質問の趣旨がよく分かんないんですけども,学会との関係と いうのは,会員でなくなったとか,そういう意味ですか。 それも含めてです。 いえ,学会員として,学会員でおります,そういう意味でいえば。 あなたは,弓谷さんから録音の状況とか,録音機能についてこの法廷に出る に際して聞いたことはないわけですね。 はい。 こういう録音物が2つあるということは,原告の訴訟代理人にはお伝えして あったんですか。それとも,そのことをあなたは知らないんですか。 いえ,代理人にも2つあるということは,申し上げました。 いつごろおっしゃったんですか。例えば,この本件訴訟提起のときには,お っしゃったわけですか。 はい。 甲第92号証の2(反訳書)を示す 41ページ,480の谷川さんの発言として,「矢野さんがいた位置は, 山 友,内藤の位置なんですよ。」とか,「明らかに敵だと,学会を売った,と いうふうに思っていた時期がある」とか,さらにその次の42ページ,「む しろ,敵の一番ど真ん中にいるような,材料を出した。ということについて の疑念というのがあるわけですよ,いまだに。」,こんなことおっしゃって ますね。ここで,おっしゃっている山友というのは,山﨑正友氏のことです ね。山友と,あなたはご発言されてますが。 この3行目のところですか,はい,そうです。 山﨑正友氏が学会からどういうふうな追及をその後受けたかということにつ いては,矢野さんは,知っておられたわけですね。 いや,それは私がお答えすることじゃないかもしれませんけれども。 だって,矢野さんがいた位置は,山友の位置なんですよということは,意味 を持つためには,山友というのは,学会とどういう関係であったかというこ とを知ってなきゃ会話は通じないと思います。 それは,ご存じだったでしょうね。 山友の位置なんですよと言われたら,矢野さんとすると,山﨑正友のような ことをされるのかと,こういう不安を持つとはお考えになりませんでしたか。 それは,かなり意図的にねじ曲げた話であって,この面談の中で,月 刊文藝春秋の連載の順番,それから,その山﨑正友氏が文藝春秋の手 記の中で矢野氏のことを取り上げているということを申し上げている わけですね。そういう総合的な客観状況を勘案すると,そのときに矢 野さんがいた位置ですよ,今いる位置じゃなくて。そういう手記を書 いたということを考えると,そのときの位置は,一緒に月刊文藝春秋 の反学会批判キャンペーンの中に,3回矢野さんが手記を書いて,2 回山﨑正友氏が手記を書いて,しかも9月号をご覧になると,編集後 記に書いてありますけれども,内藤氏の話が書いてあるんですよ。そ うすると,編集者の意図,この反学会のキャンペーンの意図に沿って, この手記を掲載されたというふうに,そういう意味で,この当時のそ のときに矢野さんがいた位置は山友,内藤の位置なんですよ,正直言 うとと。それで,それに対して,私たちの心証はそうだったんです, そのとき。で,明らかに敵だと,学会を売った,そういうふうに思っ ていた時期があるわけですと言ってますね。それで,それは長谷川副 会長や,その西口副会長,藤原さんが,そうじゃないんだと。そうい う位置じゃないんだと。青年部に言われるので,それで,どうなんだ ろうと。しかしながら,委員長でお世話になって政治家になった矢野 さんなんだから,そうじゃないんだろうなと,はっきり判断がつかな い,そういう疑念を持っていたということを言ってるんであって,ど こに山﨑正友と同じように攻撃するというふうに言ってるんですか。 さらに続けて,さっきお示ししたように,むしろ,敵の一番ど真ん中にいる ような疑念があると,いまだにと言ってるわけですね。 そうですよ。ですから,今,お話ししたように。 いまだに敵ではないかという疑念があったわけでしょう。 そうですよ。疑念が晴れないということを言ってるわけです。 この場合の敵って何なんですか。 学会を公然と攻撃してくる,また悪意を持っていろんな策略をめぐら す,ということが敵という意味です。 敵かどうかというのは,どうやって認定するんですか。 一般的にそう言われてもなかなかお答えしにくい質問ですけども。 学会としてですよ。あるいは,青年部として。 公然と虚偽の事実であるとか,それから悪意を持った言論とかいうこ とで学会に攻撃をしてくれば,それは敵というふうに言えるというふ うに考えております。 それは,組織的な認定なんですか,それとも個人的な感想なんですか。42 ページの480項のことで申し上げてますが。 これは私たち青年部がそう思っていたと。私たちの心証がそうだった と,その時期,というふうに言ってますよね。 相手が敵の場合には,どうするという趣旨なんですか。 言われていることがよく分からないんですけれども。 だって,相手に対して,あなたは。 敵であれば戦うということじゃないでしょうか。戦う相手が敵という ことじやないんですか。 どういう方法で戦うんですか。 それは言論であるとか,いろんな方法があると思いますけど。 敵かどうかという疑いをかけられたら,その疑いを晴らすためにはどうすれ ばいいんですか。 それは,事実をきちっとご説明されれば,敵でないということが明ら かになるんじゃないでしょうか。 敵かどうかの最終判断は,組織のトップが決めるということではないんです か,最終的には。 違います。 青年部が決めるんですか。 違います。 だれが決めるんですか。 それはもう公然と攻撃してきたという事実があれば,だれが決めると いうことなく,敵であるということははっきりすると思いますし,そ うでないものを攻撃することはありません。 戦いをするんですから,組織として戦いをするわけですから,やっぱり組織 的に認識を持たないとおかしなことになりませんか。 それは,ですから,そういう事実があるということをもって,みんな 認識するわけですから,ありもしないことを言って学会を攻撃してく れば,敵であることは明らかじゃないでしょうか。 42ページの480項から486項の流れなんですけど,そういう敵のど真 ん中にいるという疑念があるということに続けて,家族のことを持ち出した わけなんですね。 いいえ,違います。 だってそうじゃないですか。 ですから,疑念があると,これは先ほども申し上げましたけども,ど うしてこの,またどっかに書くんじゃないかというふうに念を押した かというと,矢野氏は,手記について謝罪をされましたけれども,途 中で,皆さんの前で言ったことと違ったことを言うようなことありま せんと,非常に含みのあるようなことを言われましたので,念押しを したわけですね,ここで。今日の会談について,書くようなことはし ませんねと。どうしてそう言うかというと,そういう疑念を持ってい た時期があるわけですと。 いまだにでしょう。 ですから,476項で,私はこの段階でこう申し上げるのに,「ちょ っと失礼な物言いになっているかもしれませんが。」というふうにお 断りをして,これまでさまざま確認をしてきて,手記を書いたことに ついては謝罪をされましたけれども,しかし,どうしてそういうふう に言うかというと,これまでの経過の中で深い疑念を持っていた時期 があるんだと。で,その謝罪が本当に真摯かどうかということについ ても,その疑念というものが払拭しきれないものがあると。だから, ここでねじ曲げたことを,今日の面談についても率直に語り合ってい るけれども,ねじ曲げて書くことはしませんねと,書きませんねとい うことで,書きませんと,書かないですというふうに言われたんで, で,しかもその念を押しかときに,きっぱりと「書かないです。」と こう言われたんで,それでは一緒に学会員としてやっていく上でご家 族も喜ばれるでしょうという話題になっていったという会話の流れで す。 Tweet