投稿者:イササカ先生 投稿日:2014年10月16日(木)17時28分0秒  

サザエさんの情報によると、この「天鼓」を書いたのは、
H社(葬儀屋)K林社長であることがわかりました。
これはH社(葬儀屋)の社員自らが「天鼓を書いたのは、H社(葬儀屋)K林社長」
ということを認めています。

さらにこの社員は、
「A見副会長がH社(葬儀屋)を潰そうと画策したから、
それに対抗する意味で『天鼓』で応戦した」との証言もしています。

H社(葬儀屋)K林社長といえば、
平成三年から始まる第二次宗門問題で「地涌からの通信」を発信していたペンネーム「不破優」です。

そもそも「天鼓」は、学会本部として公式に「全くの事実無根」、
「デタラメ」と発表され、怪文書扱いされたものです。

そんな公式に否定された事実無根の文書を書き、配布した(葬儀屋)K林氏が、
山友等と闘っている「正義の味方」のような顔をして、
聖教新聞などに紹介されるのはどういうことなのでしょうか。

先ほどの社員の証言にもあったように、「天鼓」の第一の大儀名分は「A見副会長の排除」。
しかし「天鼓」の矛先が、徐々にA谷元会長に向けられていることを見ると、
H社にとってA谷元会長は目の上のタンコブであった可能性があります。

つまり「天鼓」のねらいは、A見副会長を追い落とし、
あわよくば会長の責任問題に発展させようとしていた、と考えられるのです。

その理由は、平成九年八月の先生の発言を受けて、
本気で次は「T川会長・S籐理事長」体制だと信じて、K林氏は勝ち馬に乗ろうとしました。
そして、T川・S籐体制に移行するためには、A谷会長の交代が大前提となるからです。