投稿者:まなこ 投稿日:2017年 9月 8日(金)09時32分1秒   通報
【池田】 私も、日本にとって最も大事なことは、何をもってアジアに貢献しうるかであり、アジアは何をもって人類の文明の発展、平和の建設に、積極的な貢献ができるかということであると思っています。

アジア地域は、現実には、率直にいって世界の後進地域であり、その広範な部分は飢餓の恐怖によって覆われています。工業用原材料の供給という面からいっても、世界には他により有利な供給源がありますし、また科学技術の発達により欧米諸国や日本で代替品の開発が進められているため、アジア諸国の立場は相対的に恵まれているとはいえません。アジア独自の工業化が本格化するのは、まだ遠い先のことといわざるをえないでしょう。 また、学問や文化の面でも、欧米諸国に比べてはるかに立ちおくれています。ただ、私が東アジア諸民族の底流にあるものとして着目しているのは、仏教思想の存在です。キリスト教よりはるかに古い仏教思想の影響は、今日はっきりと目に映る部分は少なくなってきていますが、東アジア人の精神を潤し、耕して、その歴史を平和の二字に包んできたことは、確かだと思います。また、仏教思想を根底として育まれてきた東アジアの文化は、自然と人間との見事な調和のなかに、人々の心の内面にしっとりとした落ち着きを感じさせながら、一面では“生”への強いバネとなるものをもっています。こうした点からみると、東アジア人が人類の文明と平和に貢献できる道は、哲学、宗教の分野であり、なかんずく仏教思想であろうと思うのです。
【トインビー】 平和の確立と人類文明の進展に主要な、積極的な貢献をなすのは、東アジアであろうと期待します。世界の諸問題の安定化こそ世界的破局に代わる唯一の道ですが、私は、他のアジア地域、すなわちインド・パキスタン亜大陸と中東地域は、こうした安定化にさほど積極的役割を演じそうにないと思います。

中東には膨大な原油の埋蔵量がありますが、インドも、パキスタンも中東も、経済的に立ちおくれています。しかもこれらの地域は、政治的にも混乱しています。ヒンズー教徒とイスラム教徒、アラブ人とイスラエル人、パキスタンとバングラデシュ、アラブ圏の政治的保守派と急進派――等々の対立は、北アイルランドでの旧教徒・新教徒間の紛争と同性質のものを、さらに大規模にしたものです。このため、西アジアの諸国民は、おそらく人類の諸問題解決への助けとはならないでしょう。彼らはむしろ、他国民の助力を得て解決しなければならない、独自の地域的問題を抱えているのです。

これに対して、東アジアの状況はどうでしょうか。中国は、いまのところ経済・軍事両面では超大国ではありませんし、それらの面で米ソと対等になろうとしても、それに成功する見通しはずっと先のことです。しかしなお、米ソ両超大国、日本、その他多くの国々が、今日すでに中国を世界の一大勢力とみなしていることを、その行動において示しています。ソ連は対中関係の危倶から、西側に対して一段と和解的な態度をとっています。ニクソン大統領も、北京訪問によって、中国を重視しているところをみせました。これらは、いずれも今日の中国の威信をはっきりと示すものです。この威信は、中国が現在もち、また将来もつようになると予想される物質的な力とは、まったく不釣り合いなほどです。ではこれは、一体どう説明すべきでしょう。

アヘン戦争から中国共産党の大陸制覇に至るまで、世界の各国は中国を軽蔑をもって扱い、何の気のとがめも感じずにいじめぬいてきました。いまでも中国は、物質面からいえば、西欧諸国、ソ連、日本などに比べて、中国史のあの屈辱的な一世紀間よりも、さほど力を強めたとはいえません。にもかかわらず、中国の重みに対する評価が今日のように高まったのは、その現代史における比較的短期間の業績によるのでは必ずしもないようです。むしろ、それに先立つ二千年間の功績と、中国民族が常に保ってきた美点とに対する認識によるようです。この中国民族がもつ美点は、あの屈辱の一世紀間にも発揮され続けましたし、とりわけ現代では、国外に移住した華僑たちの、世界各地における個人的活動に示されています。

東アジアは、数多くの歴史的遺産をもっています。それらはすべて、東アジアを全世界統合への地理的・文化的な基軸にさせうるものです。これらの遺産とは、私のみるところ、次のようなものです。

第一に、文字通り全世界的な世界国家への地域的モデルとなる帝国を、過去二十一世紀間にわたって維持してきた中国民族の経験です。第二には、この長い中国史の流れのなかで中国民族が身につけてきた世界精神です。第三に、儒教的世界観にみられるヒューマニズムです。第四には、儒教と仏教がもつ合理主義があげられます。

第五には、東アジアの人々が、宇宙の神秘性に対する感受性をもっており、人間が宇宙を支配しようとすれば自己挫折を招く、という認識をもっていることです。私には、これは道教がもたらした最も貴重な直観であると思われます。第六に、これは仏教と神道とが、すでに今日では絶滅したはずの法家を除く、中国哲学の全流派と分かちもっているものですが、人間の目的は、人間以外の自然を支配しようとするような大それたことでなく、人間以外の自然と調和を保って生きることでなければならない、という信条があることです。

第七に、東アジアの諸国民は、これまで西洋人が得意としてきた、軍事・非軍事の両面で科学を技術に応用するという近代の競技においても西欧諸国民を打ち負かしうるということが、日本人によって立証されたことです。第八には、日本人とベトナム人によって示された、西洋に敢えて挑戦する勇気です。この勇気は今後とも持続されるものでしょうが、人類史の次の段階においては、人類の当面する諸問題の平和的解決という建設的な企てに捧げられることを、私は期待します。

現代世界は、中国人がどんな職業にもきわめて有能であること、また高い水準の家庭生活を営むことを、体験的に知りました。中国人は自国が弱体であったときも、また事実上混乱状態にあったときも、常にこの美点を発揮し続けてきました。もっとも、中国も、常に混乱状態にあったわけではありません。一九一一年から一九四九年に至る動乱期以前にも、すでに幾度かの混乱期があったことは事実です。しかし、紀元前二二一年の最初の政治統一以来、政治的にはおおむね統一が保たれ、効果的に統治されてきたのでした。

紀元前二二一年以前の中国政治史は、旧世界の西端部における政治史と似ています。中国も、数多くの戦闘的な地方国家群に分裂していたのです。しかし、紀元前二二一年以降というものは、ごくまれに、しかも短期的に、政治的分裂や無政府状態に逆戻りするだけですんでいます。全体としてみれば、帝政中国の歴史は、一つの政治上の成功譚だったのです。しかも、それは今日なお“人民共和国”という形で存続しています。これは、西洋に恒久的な政治統一と平和をもたらそうとして果たしえなかったローマ帝国の歴史とは、劇的な対照をなしています。

ローマ帝国の崩壊後、西欧世界は、ひとたび失った政治統一を、二度と取り戻すことができませんでした。なるほど西欧世界は、人間活動のあらゆる分野で巨大なエネルギーを開発し、過去五百年間に、経済面や技術面で、またある程度は文化面でも、世界の全域を統合してきました。

しかし、ローマ帝国解体後の西洋は、自らも、また世界の他の地域においても、政治統合を果たしていません。むしろ政治面で西洋が与えた影響は、世界を分裂させるものでした。西洋がその境界線を越えて普及させた政治体制は、地方民族主権国家体制です。ローマ帝国解体後の西洋の政治的伝統は、民族主義的なものであり、世界主義的なものではありません。この点からみて、西洋は、今後とも全世界の政治統合を果たせそうにないのです。もっとも今日、政治面での世界的統合が要請されているのも、もとはといえば、西欧諸国民が世界中に勢力を伸張した結果、政治面以外での世界的統合が確立されたためであることは事実です。

未来において世界を統合するのは、西欧の国でも西欧化された国でもなく、おそらく中国であろうと考えられます。そしてまた、このような未来の政治的役割を担いうる兆しがあればこそ、そこに中国が今日驚くほど世界の信望を集めているゆえんがあるとも考えられるのです。中国の統一政府は、今日までおよそ二千二百年間、ほんの時折りの空白期を除けば、あとはずっと数億の民を政治的に統合してきました。しかも、統一中国は、その政治的宗主権を被保護国群に認められ、文化的影響力もはるか遠隔地域にまで及ぼすという、いわゆる“中華王国”(ミドルキングダム)でした。事実、中国は紀元前二二一年以来、ほぼあらゆる時代にわたって、世界の半分における引力圏の中心になってきました。最近の五百年間というもの、全世界は政治面を除くあらゆる分野で、西洋の企てによって結合されました。おそらく中国こそ、世界の半分はおろか世界全体に、政治統合と平和をもたらす運命を担っているといえましょう。