投稿者:まなこ 投稿日:2017年 9月 7日(木)09時08分14秒   通報
2 東アジアの役割
【池田】 中国に共産政権が成立して以来、アジア、とくに東アジアの民衆にとって最大の脅威は、アメリカとこの中国との対立でした。朝鮮戦争にしても、インドシナにおける戦乱にしても、一応は、それぞれの民族における解放戦争という名目から起こりながらも、それが急速にエスカレートして、米中の対決、もしくはその恐れにまで発展したことは周知の通りです。

一九七二年を転機に中国の国連復帰が成り、米中の関係は大きく改善されましたが、それは、これで完全に和解し、友好関係に入ったということではなく、これまでまったく公式に話し合ったり対決したことがなかった両国が、初めて公式の場とルートをもったということだと思います。

つまり、朝鮮戦争の場合も、インドシナ戦争の場合も、中国はあくまで背後にあって、それぞれの北側の勢力を支援する姿勢を貫き、表面に出ることをしませんでした。国際会議においても、あまり表には出ませんでした。むしろ、出るべき場をもたなかったといってよいでしょう。

米中和解の直接的動機として考えられることは、アメリカですら、国際政治における中国の影響力をもはや無視できなくなってきたことだと思います。アメリカが中国の力を認めざるをえなくなった背景としては、いうまでもなくベトナム戦争の失敗が大きく影響しているのでしょう。また米軍がアジアから地上兵力を撤退するにさいしては、どうしても中国との直接交渉が必要です。今後、アメリカは、アジア地域における安定を維持するためにも、中国との話し合いを積み重ねていく必要があるわけです。

したがって、米中の和解といっても、それは現在の米ソ関係に似たものになるのではないかと思われるのです。むしろ、それは膨大な核兵器の保有を前提とする力の均衡のうえに立った“平和”の域を出ず、米中の谷間にはさまれたアジア諸国の不安は、基本的には解消されないのではないかと思われます。
【トインビー】 米ソ間の緊張緩和は、これまでのところ表面的なものにすぎません。米中間の緩和が、これに比べてより実質的なものになるとしても、平和への見通しはまだ不確かでしょう。ただし、戦後国際関係の構造における二極体制から多極体制への変化によって、三つの超大国は、かつてないほど積極的に友好的・建設的な相互関係の確立を求めざるをえなくなるはずです。なぜなら、今後、三つの超大国は、いずれも他の二超大国間で結ばれる同盟関係と対決する危険を回避しようと懸命になるはずだからです。
【池田】 なるほど。世界的には、そのような見通しが成り立つと思います。いま米中あるいは米ソの間にはさまれたアジア諸国に限っていえば、私は、アジア諸国が自主的に中道主義の立場に立って、緩衝地帯を形成することが必要ではないかと考えています。それには、なんといっても政治的自立に欠かすことのできない経済力をもった日本が、先駆を切るべきでしょう。そして、やがては他のアジア諸国がそれぞれに自立性を確立していくよう、リードしていく責任があると思うのです。

日中関係についていえば、両国間には千年余の長きにわたって、文化的・社会的交流がありました。その間、敵対関係に陥ったのは、わずかに日清戦争から日中戦争に至る期間だけです。歴史的にみても、日本ほど独立国として中国と深く交流した国は、他に例がありません。日本が中国をどうみるかによって、世界の中国に対する見方もかなり影響されてくるといえましょう。アジアは当然のこと、世界の諸国が中国と協調していくためにも、日本がリーダーシップをとっていくべきだと思いますし、この点で日本の果たすべき役割は小さくないと思います。

そのようにして、日中を中心とするアジアの団結が実現していくならば、当然、世界政治に大きな影響を与えていくことになるでしょう。中ソ関係については、現在のところは好転の兆しがみえませんが、日中接近への牽制として、ソ連が日本への接近を図ろうとすることは、十分うかがえます。いずれにしても、日中を中心とするアジアの団結は、結論的には世界平和に大きく貢献するはずだというのが、日本の一般的な見方です。
【トインビー】 日本は今日たしかに世界の経済大国の一つなのですから、三つの核超大国間の関係改善を図ろうとするその外交上の企てにも、きっと重要な役割が課せられていくことでしょう。

ニクソン大統領の中国政策転換は全世界にとって良いニュースであり、それだけに日本にとってはとりわけ良いニュースであったわけですが、ただ、このためアメリカは一時的にせよ、日本を気まずい立場におくことになりました。アメリカは日本に対して、過去二十二年間、自国の対中国敵視政策を支持するよう強要し、そのため日本は中国の怒りを買うという代価を払わねばなりませんでした。にもかかわらず、その反中国的姿勢の不評を日本に負わせたまま、今度はいきなり日本を出し抜いて、センセーショナルな対中和解への動きを示したわけです。

とはいえ、日本がかつてこのように、方向転換以前のアメリカの対中政策に追従してきたことも、日中関係改善にとってさほど深刻な障害となるものではありませんでした。なぜなら、中国のほうも、日本がアメリカの対中敵視政策に追随してきたのは、必ずしも自らの意志にそうものでなかったことを、十分承知していたに違いないからです。さらに、日本国民が、一九四五年の敗戦以来、日中平等の立場に立つ自主的連帯にこそ日本の将来があると信じていたことも、中国はすでに十分認識していたはずだからです。

こうした点を考え合わせるにつけ、私も、日本と中国の歴史的な文化・社会面の絆こそ、最も重要であると確信します。“中国版”の仏教導入を通じて、日本民族の自発的な“中国化”が始まったのは、西暦六世紀のことですが、これはイギリス国民が“ローマ版”のキリスト教導入を通じて自主的な文明開化を図ったよりも、ほぼ一世紀ほど前のことでした。中国文明が日本の歴史上果たした役割には、測り知れないものがあります。日本民族は、たしかに中国文明を独自なものへと変容させるのに成功しましたが、だからといって、中国文明がそこに果たした役割の重さは、いささかも減ずるものではありません。奈良や京都を訪れる西洋人は、十四世紀にわたる日中間の文化的相互作用というものを、深く印象づけられます。また、ライシャワー氏英訳による九世紀の日本の僧・円仁の日記風中国巡礼記を読む西洋人も、そのことを強く感じます。

日本はすでに米ソ両国と友好関係にあり、またこれまで日中間の友好関係を阻んできたアメリ力の障害も取り除かれ、日中和解が成立しました。しかも、長期にわたる文化交流のおかげで、日中関係は今後、米中関係、中ソ関係などよりも親密なものになることが予想されます。こうした事実から、日本はこれからの外交面で、三つの核超大国の間にあって、ビスマルクの言葉を借りれば“公平な仲介人”として活動できる、独自の立場に立つことでしょう。日本がその現行憲法で交戦権を放棄していること、そして核保有国でないという事実は、この役割を果たす日本の能力をさらに高めることでしょう。

こうして、国際社会における日本の次の役割は“公平な仲介人”たることになるでしょうが、しかし、私は、たとえこの仲介者的な仕事がいかに重要そうにみえようとも、やはり日本の最終的な役割が、そうした働きだけに限られないことを期待しています。私は次のように信じています。すなわち、日本は最終的には、中国、ベトナム、朝鮮と一致協力して、将来それを中心とする全世界の統一がなされるべき、一つの軸を形成することでしょう。