投稿者:まなこ 投稿日:2017年 9月 9日(土)08時24分25秒   通報
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【池田】 中国の歴史をみても、日本の徳川時代をみても、いわゆる政治的に成功した状況というものは、平和をもたらしたという意味で、たしかにたたえられるべきでしょう。しかし、その反面、個人の創造性や自由はかなり強く規制され、閉鎖的・固定的な傾向が目立ちます。
中国や日本が、ヨーロッパからの衝撃によって平和のまどろみを打ち破られたのは、そうした個人の創造性の抑圧が社会・文化の停滞を招き、自由競争の方法で著しい進歩を示したヨーロッパに比べて、立ちおくれてしまったからだとも考えられます。
いま人類が直面している最大の課題は、そうした進歩よりも安定と平和ですから、その時点においてはたしかに中国式の統一が意味をもつかもしれません。しかし、それによって個人が社会のなかで固定化され、自由な才能の発揮が抑制されるようになった場合、はたしてその体制が永続しうるかどうかは、大きな疑問としなければならないでしょう。
それには、政治的な安定や平和と同時に、個人の能力の自由な発現、創造性の発揮ということをどう両立させていくか、またこれらを両立させうる体制はいかにあるべきか、という点を考えていかなければならないでしょう。これについては、博士と私の意見の食い違っているところであり、私が考えているEC方式の、いわゆる平等の立場で連合していく形が、この両方の要求を満たしていけるのではないかと思っています。
それはともかくとして、一般には、世界は米中ソ三国による三極構造から成るとされていますが、中国自身は米ソのような“超大国”にはならないと言明しています。しかし、その伝統的、文化的な影響力は、計り知れないものがあります。中国にはまた、従来の西欧諸国のような国家観、世界観、文化観とはまったく違うものがあります。今後さらに、中国が国際社会の檜舞台に立つようになると、とくにアジア・アフリカ諸国に対しては、かなりの波動を起こすに違いありません。とくに私が注目したいのは、核兵器の廃棄の問題です。中国が国連に占めた席を活用して、軍縮委員会等で積極的な呼びかけを行ない、核兵器の廃棄を自らに課すと同時に、米ソ両大国に廃棄を迫ることができるかどうか、また世界の恒久平和に意欲を示すかどうか、私は期待し、注視していきたいと思います。