投稿者:まなこ 投稿日:2017年 8月17日(木)10時09分3秒   通報
6 戦争の本質と今後

【池田】 人類の歴史は戦争の歴史であったとさえいわれるほど、戦争が繰り返されてきました。生物学者によれば、同じ種同士でこれほど残虐な殺し合いをするのは、人間だけであるということです。いったい、戦争は人間にとって宿命的なものなのか、それを避けるにはどういう条件が必要か、とくに第三次世界大戦を回避して恒久的な平和を築くにはいかにすべきか――という観点から、博士のお考えを伺いたいと思います。

【トインビー】 人間の感情、思考、価値判断、行動などに関してわれわれが現在もっている知識というものは、時間的に遡ってみても、人類史のうち、ごく最近の期間にしか及んでいません。
すなわち、当時の記録文献が現存している期間を越えてはいないのです。この期間とは、たかだか最近の五千年間のことにすぎません。ところが、われわれの祖先が人類として存立し始めたのは、すでに百万年も前のことかもしれないのです。この時代区分は、遺骨や道具などの証拠からみて、われわれの祖先が進化して自意識をもつに至った――つまり十分人類として存立し始めた――と推定される段階から割り出したものです。
たとえ、すでに絶滅した類人動物の種をすべて完全な人類として数え上げず、また、たとえヒューマン(人問)という用語を唯一の現存種、すなわちホモ・サピエンスだけに限定した場合でも、人類はなお、すでに最低二十万年から三十万年間は生存してきているはずです。この期間でさえ、最近の五千年間に比べればはるかに長期間です。
この五千年間というもの、戦争が人類の主要な慣わしの一つとなってきたことは、まぎれもない事実です。われわれは、人類の余剰生産物のほとんど大部分を戦争に費やしてきました。すなわち、人類が最低限ただ生存するために費やされる――すなわち自らを生きながらえさせ、種の絶滅を防ぐために費やされる――生産量を少しでも上回る生産物は、ほとんどが戦争のために使われてきたのです。しかしまた、余剰生産物なくして戦争が不可能であることも確かです。なぜなら、戦争は労働時間、食糧、資材などを不経済に使うことを要求し、さらに、これらの資材を武器その他の軍事装備につくりあげる産業を、無駄に利用することをも、要求するものだからです。
われわれの知り及ぶかぎり、チグリス・ユーフラテス両河やナイル河の下流地域で排水、灌漑が始められるまでは、どんな人間社会も、戦争を起こすに必要な余剰生産物というものをもっていませんでした。しかも、これらの地域で排水、灌漑の完成をみたのは、紀元前三千年頃からさほど遠い昔ではありません。シュメールやエジプトの造形美術にみられる、現存する最古の戦争描写や、最古の戦争記録文献などもこれとほぼ同時代のものです。このことから結論づけられることは、戦争は文明そのものより古くからあったものではなく、戦争と文明は同時に発生したのであり、ゆえに戦争は文明のもつ先天的病弊の一つであるということです。
戦争は、暴力性や残酷性と同一のものではありません。それは、人間の暴力性・残酷性が特殊な形をとってあらわれたものです。私の信ずるところでは、これらの悪い衝動というものは、人間本性に生来そなわるものであり、生命自体に本質的に内在するものです。あらゆる生物体は、それぞれ暴力性・残酷性を潜在的に秘めています。
戦争とは、この暴虐性が組織的、制度的に発揮されたものです。戦争にあっては、人間同士が公的機関――国家政府とか、内戦の場合は臨時政府――の命令下に戦い、殺し合います。兵士は、何の個人的な恨みもない相手と戦います。彼らの多くは、互いにまったく面識がなかった者同士なのです。