投稿者:まなこ 投稿日:2017年 8月12日(土)10時53分28秒   通報
【池田】 現在、日本の国内では、戦力を一切放棄することを定めた憲法第九条をめぐって、自衛のための軍備が、この規定の対象になるかどうかが問題とされています。法理論上の問題は別として、現実の国際情勢下において、いかにして自国の安全と生存を維持していくかという観点から、この議論が起こっているのです。
再軍備をすべきだと主張する人々は、日本を除けば世界のどの国家でも軍隊をもっている実情を理由に、自衛の手段としての軍備をもつことは、独立国として当然だとしています。一切の軍備を放棄し、一切の交戦権を認めないならば、たとえ法理論上では自衛権を認めたとしても、実際的には自衛の意味をもたず、したがって自衛権そのものを否定することになるというわけです。
これに対して、軍事力による自衛権の保障ということに反対する人々は、自衛権の行使は、必ずしも軍事力による必要はなく、その一切の放棄という姿勢は、現状の国際関係のなかで十分な力をもつとしています。
自衛権は、対外的には、いうまでもなく、他国の急迫不正の侵略に対して、国家の自存を守る権利です。それは、対内的には、そして根本的には、国民の生きる権利を守るという考え方に根ざしています。すなわち、個人の生命自体を守るという、自然法的な絶対権の社会的なあらわれが国の自衛権というものであると思います。であるならば、その自衛権をもって他国の民衆の生命を侵すことができないのは、自明の理です。ここに自衛権の行使ということの本質があります。
問題は、あらゆる国が他国の侵略を前提として自衛権を主張し、武力を強化しており、その結果として、現実の国際社会に人類の生存を脅やかす戦争の危険が充満していることです。しかし、この国際社会に存在する戦力に対応して“自衛”できるだけの戦力をもとうとすれば、それはますます強大なものにならざるをえません。それゆえ、武力による自衛の方向は、すでに行き詰まってきているといえましょう。
私は、この問題は、国家対国家の関係における自衛の権利と、その行使の手段としての戦力というとらえ方では、もはや解決できない段階に入っていると考えます。もう一度出発点に立ち返って大きい視野に立つならば、一国家の民衆の生存権にとどまらず、全世界の民衆の生存権を問題としなければならない時代に入ったと考えます。私はこの立場から、戦力の一切を放棄し「安全と生存の保持を、平和を愛する諸国民の公正と信義に託」した、日本国憲法の精神に心から誇りをもち、それを守り抜きたいと思うものです。そして、それを実あらしめるための戦いが、われわれの思想運動であると自覚しております。

【トインビー】 もし日本がその現行憲法の第九条を破棄するとしたら――いや、さらによくないことは、破棄せずにこれに違反するとしたら――それは日本にとって破局的ともいうべき失敗となるでしょう。
国際情勢全般が今後どのような方向をたどろうとも、日本にとっては、中国との良好な関係を確立することが、きわめて重要になるものと思います。中国側にとってみれば、憲法第九条をめぐる日本の政策いかんが、中国に対する日本の意向をはかる尺度となるでしょう。日本の再軍備は、たとえそれが真に自衛を目的とし、侵略を意図するものでないにしても、中国の疑惑と敵意をかきたてることでしょう。またそれは、中国人の心に一八九四年の記憶や、一九三O~四五年の記憶を呼びさますことになるでしょう。さらに、中国の核武装が十分に進んだとき、日本に対するいわゆる予防戦争を誘発させることにもなりかねません。
その反対に、日本が第九条を遵守するかぎり、たとえ中国が第一級の核大国になった場合でも、日本は、中国から攻撃される危険性はないでしょう。中国の領土的野心は、おそらく、一七九六年当時に到達した国境線の回復、という範囲を超えるものではないはずです。これらの国境線を越える領域については、中国の狙いは消極的なものだと私は想像しています。たしかに中国が、東アジアや隣接海域からの米軍撤退を望んでいることは事実ですが、だからといって、現在アメリカが軍隊や基地を配備しているアジア地域のどこかを、占領しようと望んでいる兆候はまったくありません。
したがって、私の見解では、日本にとって憲法第九条を堅持することは、今日のように混沌とした国際関係のなかにあっても、なお有利なことです。もちろん、世界政府の樹立によって、世界の諸国民が現在の無秩序状態を終結させることに成功したとすれば、そのときこそ、先に第九条を憲法に盛り込むことによって、歴史の流れを正しく予測した日本国民の英知と先見の明は、きわめてはっきりと証明されることでしょう。

【池田】 アメリカやアジア諸国の対日感情という点で、最近、日本経済の国際的進出が各地で反感を買っています。私はこうした様相を見るとき、第二次世界大戦前に日本がおかれた状況を思い起こさずにはいられません。
将来、日本は再び国際的に孤立に追いやられる可能性はないかどうか、またそれを防ぐにはどうすればよいか――この点について博士はどうお考えですか。

【トインビー】 いや、これまで日本は世界全体の経済生活にあまりにも重要な役割を果たしてきていますので、物質的な理由一つを取り上げても、他の諸国が再び日本を孤立化させることは、とてもできません。まず明らかに、中国とソ連は、それぞれ自国の経済開発のため、日本の助力を得ようと競い合っています。
ただし、私のみるところ、問題は、日本の経済的成功が近年あまりにも度が過ぎているということです。貿易収支が、日本にとってあまりにも有利になりすぎているのです。長期的展望からいって、各国が相互の貿易を首尾よく行なおうとするのなら、各国の貿易収支は均等にならなければなりません。もちろん短期的にはいずれか一方に有利に傾くということはあるでしょうが、全体としては均衡がとれていなければなりません。この意味から、私は日本に対して、他国との貿易関係にあっては――たとえばアメリカとの貿易において――輸出量とほぼ同額の輸入を行なう必要があることに、気づいてもらいたいのです。
もっとも、このことはすでに日本でも認識されていることと思います。日本は、もはや、世界中の他の諸国に対して強者であっても弱者であってもならず、勝者となっても敗者となってもならず、あくまで平等の立場に立たなければなりません。人間である以上、われわれは互いに常に懸命な駆け引きをし、自分の利益を図ろうとすることでしょう。しかし、なお私は、他の諸国民同胞に対して、互いに健全な平等観を抱くところまで、われわれが到達することに希望を託しています。繰り返しますが、もはや日本が再び孤立化することは決してないと思います。ただし、あらゆる国の国民は他国民に十分な配慮を払っていかなければならない、と私は考えます。