投稿者:まなこ 投稿日:2017年 8月11日(金)08時07分57秒   通報
4 “平和憲法”と自衛

【池田】 歴史時代に入って以来、およそ国家と名のつくあらゆる国は、自衛のためと称して武力をもってきたと思います。武力は国家の力の代表のようにさえ考えられてきたようです。現代も、それは例外ではありません。というより、むしろ現代に至って、科学技術の発達により、武力はかつて想像もしなかったほど強大になり、それに要する出費は膨大なものになっております。
とくに、米ソ英仏中のいわゆる核大国が装備している武力は、他国による侵略の防衛という概念をはるかに越えて、もしその力が行使されれば相手国はもちろんのこと、自国を含めた地球上の全人類の生存を脅かす規模と質のものになっております。もはや現代における武力は、既成の、歴史的に馴れ親しんできた防衛力という考え方とは異質のものになってしまっている、と考えなければならないでしょう。つまり、武力をもつ大義名分は、現代においては、すでにその根拠を失ってしまったと私は考えるのです。

【トインビー】 世界が約百四十の地方主権国家に分割されている現在の国際構造下で、最も効果ある国家自衛手段とは、物理的軍備の保有と軍隊の保持とを、すべて放棄することです。ただし、この場合、例外とすべきは、最小限の武器使用をもって各国内の法と秩序の維持にあたる、国家警察軍の存在でしょう。
他の地方主権国からの攻撃に備える、防衛のための軍備と軍隊を放棄するには、もちろん、本質的に他国を傷つけるような、また他国政府に正当な苦情の根拠を与えるような、国家的行動、政策を放棄しなければなりません。
ほとんどの政府が、そしてほとんどの個人が、今日、地方主権国間での、一国による他国攻撃が罪悪であることを認めています。戦争目的のためにつくられた国家の省庁や国家予算が、今日では一般に“戦争省”とか“戦争予算”とかの名称をもたず、ましてや“侵略省”とか“侵略予算”などと呼ばれず、“国防省”とか“国防予算”などと名づけられていますが、これは意味深長なことです。

【池田】 おっしゃる通りであり、国防のためだから、国民の税金を軍備の拡充のために注ぐのは当然だという、政府・権力者の言い分は、まやかしにすぎません。それにもまして悪質なのは、国を防衛するためといって、青年たちに生命を犠牲にすることを求めるペテン行為です。その“まやかし”“ペテン”を最も象徴的にあらわしているのが“国防省”――日本の場合ですと“防衛庁”――であり、“国防予算”“防衛予算”という名称です。なぜなら政治権力の多くは、この“防衛”を口実につくりあげた軍事力によって“侵略”を行ない、他国民も自国民も、ともに苦難のどん底へと叩き込んできたのですから――。本当に“防衛”のためだった例は、きわめてまれでしかなかったのではないでしょうか。

【トインビー】 ところが実際には、防衛のための編成・装備・徴兵と、攻撃を意図した同様の準備とを、予め区別することはできません。それゆえ、うわべは防衛を装った準備が、じつは攻撃を意図したものであるかもしれない、という疑惑を呼ぶわけです。そこで、これを脅威とする国は、それに対抗する準備を始めることになります。こうして、ひとたび軍備競争が始まると、競争国のいずれかがこの競争に勝とうとして奇襲攻撃をしかけ、これを予防戦争と称して侵略行為を正当化しようとしがちになります。
第一次世界大戦でドイツが敗北した後、デンマークは、シュレスヴィヒ地方のうち、ドイツ系人口が大半を占める地域については、ドイツから再併合することを拒否しました。シュレスヴィヒ全域は、かつて一八六四年の戦争でプロイセンとオーストリアに奪われたものであったにもかかわらず、デンマークはあえてそうしたのです。その後、両次の世界大戦の間に、デンマークは事実上軍備を撤廃しました。第二次大戦において、ドイツは、いわれもなくデンマークを軍事的に占領しました。しかし、第一次大戦後に画されたデンマーク・ドイツ国境線は、そのとき、ヒトラーの軍隊が一時的に占領した領土のうち、ヒトラーがドイツに有利なように修正するのを控えた、数少ない国境線の一つとなったのです。このように、デンマークが自主的にとった軍備撤廃政策は、さきに領土上の不正を拒否したことと相まって、たとえドイツが第二次大戦に勝っていたとしても、その正しさが立証されたことでしょう。
しかし、最良の自衛策が物理的防衛手段の放棄であるという論理は、まだ世界のほとんどの群小主権国家の受け入れるところとはなっていません。たとえば、中立の方針に身をゆだねた二つの主権国家、スイスとスウェーデンですら、侵略の抑止力として強力な軍備を保持しています。スイスは、その軍備のおかげで、たしかに両次大戦を通じて中立を守っています。スウェーデンもまた、両大戦において参戦を回避することに成功しました。しかし、後者の場合、第二次大戦においては、それはたまたまドイツがスウェーデン侵攻になんの戦略的価値も認めなかったからのことにすぎません。しかも、スウェーデンの中立を侵犯しなかったことの代償として、ドイツはスウェーデンから戦時輸送設備の接収を行なっています。これはたぶん、厳密にいえば、スウェーデンの標榜する中立性とは相容れないものであったはずです。