投稿者:まなこ 投稿日:2017年 6月23日(金)21時24分50秒   通報
【トインビー】 新しい運動は、大いに渇望されるべきです。このままの事態が続くかぎり、決して明るい見通しは立たないと思われるからです。
ここで私の考えを結論的に申し上げれば、自由競争経済下の私企業は、そのすべての当事者が自らの貪欲さを規制できずにいるため、結局は自らに死の宣告を下している、ということです。自由競争経済の企業の思想における倫理的前提は――いや、むしろ非倫理的前提というべきでしょうが――「貪欲は美徳であって悪徳ではない」という考えです。しかし、この前提は真実に反するものであり、その誤りは報復をもたらします。規制なき貪欲は、その自殺的な先見性のなさのゆえに、自己破滅を招くのです。
私は、最大限の私利追求を生産の動機としているあらゆる工業国において、自由競争経済はやがて機能がマヒしてしまうものと信じています。そして、こうした事態が起きると、やがては独裁政権によって社会主義が実施されることになるでしょう。これはしかし、雇用者だけでなく労働者たちからも、同じくらい激しい抵抗を受けるはずです。なぜなら、すでに労働者たちは、かつて彼らの歴史の第一段階では自分たちを搾取した当の体制自体から、今日では、たとえ一時的であるにせよ、恩恵をこうむっているからです。
私は、社会主義の到来を予測する点では、一見、マルクス主義者のようにみえるかもしれませんが、倫理的判断のうえではマルクス主義者ではありません。マルクスは労働力の雇用者を侮蔑し、労働者たちを理想視しました。これに対して、レーニンは労働者に幻滅し、やがて彼らに圧力を加えました。私の見解では、マルクスが当時の雇用者たちに加えた酷評は、そのまま今日の労働者たちに当てはまります。人間の本性は、雇用者も労働者も同じなのです。

【池田】 まったくおっしゃる通りです。われわれは、人間のもつその普遍的な本性を正しく見きわめ、そこから変革の原理を確立していかなければなりませんね。従来の変革への試みは、人間自身への究明が不十分なままに、体制や機構の改革だけで社会を変革しようとしてきたところに、ある一面では成功を収めても、全体としてみれば失敗してきた根本原因があったと思います。

【トインビー】 人間の本性は貪欲なものです。そして、この貪欲性は、規制されないかぎり大きな不幸を導くことでしょう。したがって、私は、他のあらゆる人間の活動と同じく経済活動においても、自己超克こそが自己救済への唯一の道であると信じます。
あなたはさきに、労働運動の目標を欲望充足の追求から、より本源的な人間防衛への探求に転ずる必要がある、と述べられました。この点、私も同感です。しかし、この転換は自主的にはなされないのではないかと思われます。私は、それは一つの独裁的政権によって押しつけられるのではないかと心配するのです。そこでは、あらゆる生産工程にたずさわる当事者たちが、すべてこの体制に身をゆだねざるをえなくなるでしょう。彼らはそれを、現在の私企業制度がもたらすであろう全面的な経済恐慌に比べれば、独裁体制のほうが同じ悪でもまだましだとして、しぶしぶ認めることでしょう。
なお、私の予想するこの独裁体制が、それにゆだねられた革命の使命遂行に成功するならば、次いで、より民主的に“世界国家”の市民を代表する、より穏健な政権がこれに取って代わることでしょう――しかも、この政権は何らかの形の世界的独裁権を基盤としたものであるに違いないと私は思うのです。