投稿者:まなこ 投稿日:2017年 6月21日(水)08時09分9秒   通報
◆◆ 第五章 杜会的動物としての人間

◆ 1 新しい労働運動のあり方

【池田】 今日、労働運動は一つの転換期に直面しているといえます。たとえば、これまで運動の主眼点であった経済的要求の面に加えて、それよりもむしろ各人が能力を存分に発揮できるような労働条件の要求のほうが比重を増してきています。また、労働者の社会的意識の向上から、自分の働いている工場が環境汚染源であったり、あるいは兵器産業であるような場合、そうした事態への抗議が運動の目的になっているという例もみられます。
さらに、社会全般の政治化現象を反映して、労働組合が特定政党の支持母体となって、組合幹部は議員候補の訓練生のようになり、そうした野心家たちと一般組合員との間に意識の断絶を深めている傾向もみられます。
こうしたさまざまな問題がありますが、労働運動において最も基本となる、労働者と雇用者の関係からふれていきたいと思います。
労使という階級意識は、欧米におけるそれに比べて、日本の場合はあまり明確ではないように思われます。といいますのは、博士もよく御存知のように、日本においては企業内家族主義といえるような、温情的雰囲気が伝統的に強いからです。これは封建時代の家内企業の名残りともいうべきもので、今日の巨大化した近代企業においても、労使が対立するのではなく、企業全体の繁栄のために力を合わせていこうという考え方があります。おそらく、自由競争経済体制のもとでは、企業自体の死活が問題であって、労働者の運命も結局はそれによって決まってしまうという意識がしみついているからでしょう。
こうした家族主義的労使関係は、社会学者の説によりますと、日本独特の現象だとされています。しかし、私は、やがては日本だけの問題ではなくなっていくのではないかと思います。たとえば、フォードとベンツが激しく競争しているとき、フォードの労働者が、ベンツの労働者に対するよりも、同じフォードの経営者に対して、より深い親密感をもつのは当然のことではないでしょうか。

【トインビー】 これまでのところ、日本はイギリスよりも恵まれた労使関係を享受しています。
イギリスでは、すでに産業革命が起こる以前から、企業内家族主義的な伝統は消滅していました。
雇用者たちは、工業化の初期の段階で、すでに新興の産業労働者階級を情け容赦なく搾取していました。これに対して、労働者たちは、最終的には社会主義が私企業に取って代わるのを待ち望むことで自らを慰めていました。彼らは、やがては国家が国全体の経済生活を支配するようになり、統制化によって社会正義を実現してくれるだろうと期待していたのです。こうして、社会主義国家の実現を待つ間、イギリスの労働者たちは労働組合を結成し、それによって搾取から身を守ろうとしました。イギリスはまだ社会主義国家にはなっておりません。ところが、労働組合のほうは十分強大化して、いまや自衛的な姿勢から攻撃的な姿勢へと転じでいます。
労働者の力がこのように強まったのは、一つには、同業の仲間たちをより広範に組織化していった彼ら自身の行動力によるものですが、もう一つには、イギリス社会自体が、ストライキによる混乱の打撃にますます脆くなってきたことにも起因しています。技術の進歩にともない、社会全体がガス、電気、水道、郵便など公共事業への依存度を高めたため、いまではこれら基幹産業の組合労働者たちは、国家経済にダメージを与えたり、さらには国民生活をマヒさせたりして、賃上げを強要できるまでになりました。この結果、労働組合は、かつては無節操な競争的私企業の犠牲者だったのが、今日では事実上その受益者となっているのです。今日、組合労働者たちは社会主義政策に対して――つまり、法令による物価統制とか所得上限規制に対して――彼らの雇い主である資本家よりも、かえって強く反対するまでになっています。

【池田】 たしかにそうした傾向もまた、新しい時代の労働運動のあり方を考えるうえで考慮しなければならない、大きな要素ですね。