投稿者:まなこ 投稿日:2017年 6月19日(月)09時27分29秒   通報
【トインビー】 人間の尊厳のためには、最大限ではなく、最適数の子供を産むことが要求されます。この最適数とは、ある時代、ある場所の科学技術の状況や社会的な条件のもとで、そこに生まれてくる子供たちにも社会全体にも、最適の生活水準をもたらすような数――と定義づけることができます。ただし、この生活水準とは、あくまで精神的な意味での水準と考えるべきです。
そして、物質的水準は精神的な目標を達成する一つの手段とみなすべきで、それ自体が自己目的化してはなりません。
われわれは、科学の進歩によって手にした新たな力を、人間の精神的福祉のために使用することを、宗教的禁止令によって妨害されてはなりません。もちろん、性交が妊娠に結びつくのを防ぐ力が、尊厳も愛もない性欲の満足という目的に誤用される可能性もあります。しかし、その反面、この力は、子供たち、母親たち、そして社会自体の福祉のために、有益に利用することもできます。避妊法というこの新しい力を若者たちが誤用しないよう、われわれが最大の努力を払って彼らを導くべきであるのは当然ですが、福祉へのこの力の活用は、少しも差し控えてはならないのです。

【池田】 私は、産児制限には、民衆に知識を普及することとともに、国家が経済的にバックアップすることも必要であると思います。さらに、産児制限を推進していくうえで起こる派生的な問題にいかに対処するかも、十分に考慮に入れておかなければなりません。いま博士が指摘された、産児制限の技術が普及することによってセックスに対する快楽主義が横行することも、その一つです。また、家族構成が小単位になって住居の問題が出てくるといったことも考慮しなければならないでしょう。さらに、若年層が減ることによって労働人口が減り、老年層の占める割合いが増すという、人口構成上の変化もあります。これは、産業にもかなり大きな影響を与えますから、省力化等の対策を講じなければならなくなるでしょう。産児制限を進めるにあたっては、このような種々の要因を勘案しなければならないと思うのです。

【トインビー】 出産数が急減すると、一社会内でそれぞれの年代層が占める割合いに不均衡をきたすことになるとの御指摘ですが、そうした不均衡は一時的なものにすぎないでしょう。たしかに老齢者の数は相対的に一時増えるでしょうが、それはやがて、就労年限が平均的に延びることによって相殺されることでしょう。これは、公的にも私的にも栄養や医療が改善されることによって実現されるはずです。
じつは人類は、避妊薬具を発見する以前には、もっと非人道的なやり方で人口を制限していたのです。たとえば、ギリシアで起こった人口爆発は紀元前八世紀から同二世紀まで続きましたが、この間、ふくれあがったギリシア人口は、遠くフランスやスペインの地中海沿岸、黒海の北岸、アフガニスタン、パンジャブ地方、エジプト、東リビアなどの諸地域へと伸張していきました。そのとき、ギリシア人はこの異常な人口増加を人為的な方法で阻止しました。彼らはこれを、嬰児――とくに女児――を風雨にさらしたり捨てたりする残酷な嬰児殺しや、心理的な害をもたらす同性愛の慣行によって行なったのです。またチベットでは、タントラ派の大乗仏教に改宗して以来、大勢の男児に僧院での独身生活を送らせるという、より文明的なやり方で人口を制限してきました。
日本では、徳川体制のもとでは人口が安定していましたが、明治維新以後爆発的に増加しました。そして、第二次世界大戦以後は再び安定しています。ただし、これは一八六八年以前の人口よりもはるかに大きな人口での安定です。私は、日本人の大多数が、この最近の人口安定を、望ましいだけでなく、どうしても必要なことと考えていると思います。また、新しい科学的な避妊の方法に対しても、かつてやむをえずとっていた他の手段よりも好ましいとして、歓迎しているものと思います。こうした私の認識は正しいでしょうか。

【池田】 ええ、その通りです。日本の人口は、明治五年(一八七二年)の戸籍調査によりますと、約三千五百万人でしたが、昭和十一年(一九三六年)にはほぼ倍の七千万人に達し、現在では一億人余を数えています。
日本は、狭い国土のうえ山岳地帯が多く、可住地当たりの人口密度は非常に高くて、とくに都市部では、人口が限界点に達しています。幸いなことには、食糧事情においてはまだ餓死者を出すような状況からほど遠いようですが、しかし、生活空間という面からいえば、人間としての尊厳、精神的な豊かさを維持することが、かなり困難になっています。したがって、日本人の多くが、人口の抑制はどうしても必要だと考えていることは、博士の御指摘の通りです。
かつては日本でも、食糧難のゆえに“口減らし”とか“間引き”とかいわれる、せっかく生まれ出た生命を摘みとる風習が横行していた時代があります。しかし、今日、われわれは、どんなことがあっても、生まれ出た生命の尊厳を傷つけるような愚かさを決して繰り返してならないのは、いうまでもありません。その点では、現代の日本人は、かつてのこのような愚行を否定し、科学的方法をすすんでとっています。また、日本には、宗教的な理由から科学的な避妊を否定するという考え方は、あまりみられません。
ただし、今日、世界的な傾向の影響を受けて、日本でも、避妊薬具の普及にともない、生殖のための性行為とはほとんど無関係に、快楽のためだけに性行為を行なうことが当たり前のように考えられ始めています。その結果、フリーセックス時代を招来して、恋愛から結婚、そして出産、という図式が否定されかねない傾向が強まっています。これは、現代科学がもたらした快楽追求の増幅作用の、もう一つの大きな問題だと思います。

【トインビー】 おっしゃる通り、もし性的快楽が、恋愛、結婚、出産という図式から分離されてしまうと、男女両性の関係はまるで人間性のないものになってしまいます。そこでは性欲の充足が、飢えや渇きを鎮めるのと同じレベルに堕してしまうでしょう。一個の人格にとって、性的関係を結ぶべき相手の人間の身体との関係が、ちょうど、その人と飲食物との関係のようになってしまうのです。これはもはや、人間対人間の関係ではありません。しかも、人間同士が互いに非人間的な関係をもつということは、双方を堕落させることになります。性的関係とは、そこに相互の愛情と価値ある共通の人生目的がともなって、初めて人間的なものとなるのです。
普通、結婚の目的は子供を産み、育てることにあります。ただし、結婚した一組の夫婦がもつ子供の数は、今日では最大限の数である必要はなく、またそうであってはなりません。医学の進歩によって、死亡率、とくに乳幼児の死亡率が、低下してきているからです。