投稿者:まなこ 投稿日:2017年 5月30日(火)08時28分5秒   通報
【池田】 そのような、金銭的、時間的な理由から青少年時代に十分な教育を受けられない人々のことを考えると、私は、大衆が一方で職業に従事しながら同時に学問研究ができるシステム、つまり能力と意欲のある人は平等に学問ができる生涯教育のシステムが必要であることを、痛感せずにはいられません。こうした教育制度を確立し、充実させることが、知識人と大衆の断絶をなくす一つのよすがになると信じるのです。

【トインビー】 同感です。パートタイムの成人教育には十分な時間と金をかけるべきですし、また、労働時間と給料の調整によって、能力と意欲のある人は誰でも、定年に至るまでパートタイムの教育を受けながら、同時に生計の資を得られるようにすべきです。 これには、次のような十分な理由があげられます。まず、生涯にわたるパートタイムの教育は、一般大衆の知的・倫理的レベルを向上させる最も確実な方法であるということ。次に、人々の生活環境が、現在、あまりにも大きく一生の間に変化することから、常にこうした変化に自分を適応させていくことが必要であるということ。さらには、成人して責任ある立場に立ってからの経験というものは、いついかなる場合でも、貴重な教育の助けになるということです。こうした理由から、成人後の教育というものは、たとえすべての時間をそれにさくことは無理であっても、なお青年期の教育に比べて、実りの多いものとなるはずです。

【池田】 その通りだと私も思います。この問題の解決は、人間と文明の問題、人間存在自体についての問題に、カギを提供するものでしょう。
ともあれ、知識人であるにせよ大衆であるにせよ、今日最も要請されるのは、世の不正を見て何らかの変革をめざそうとする姿勢であると思います。知識人と大衆が互いに不信感を抱き、争っている間に、そうした変革にも意義ある貢献は出来ず、議論は永久に平行線をたどるだけでしょう。
われわれは、まず大前提として、知識人も大衆もともに同じ人間であるという原点に立ち戻り、歴史を真に動かすものは、特定の階級やグループではなく、人間一人一人であるという自覚をもたなければなりません。私は、人間がともに同じ人間として、よりよい社会を築こうと決意するなかに、知識人と大衆の疎外が取り払われ、強い連帯が生まれてくることを期待したいと思います。

【トインビー】 今日、われわれは、ともに同じ人間同士であることを認め合い、同じ一つの家族員として生きていくことを、まぎれもなく必要としています。そして、私は、宗教こそ、知識人と大衆が再び共通の基盤を見いだす、最良の機会を与えてくれる場であると信じています。