投稿者:まなこ 投稿日:2017年 5月31日(水)08時17分7秒   通報
◆ 4 知識人・芸術家の政治参加

【池田】 よく知識人、文学者、芸術家が、広く政治一般に関心を示すことを、何か悪いことのようにいう人がいます。むろん私はこのような意見に反対ですが、彼らの考えにも一理はあります。いわゆる政治の世界に巻き込まれてしまうと、純粋であるべき芸術や学問までが汚されてしまう恐れが多分にあるからです。
しかし、およそすべての人間は、それぞれ政治的社会から隔絶して生きることはできません。
何らかの意味で“政治”と関係をもち、社会からの影響を受けて生活しているからです。そうした一切の社会的関係を断ち切って、仙人のようにして生きることなどできないのが、現代人の宿命でもありましょう。とすれば、学者や芸術家が社会との関係を断ち切って、書斎やアトリエに閉じこもり、著作や制作に専念したとしても、そこからは生き生きとした作品が生まれるはずはありません。

【トインビー】 どんな人もまず何より人間であり、人間である前に知識人や芸術家ではありえません。しかも、人間はすべて社会的な動物です。つまり、知識人にしろ芸術家にしろ、すべて人生の諸問題には関わり合いをもっているわけです。そして、そこには普遍的で恒久的な問題もあれば、また自分のおかれた時代や場所だけに特有の問題もあるはずなのです。
知識人なり芸術家なりが、もし普遍的、恒久的な問題を無視するとすれば、それはその人の愚かさをさらすようなものです。そういった問題を無視する理由が、もし無関心や無知によるものだとすれば、その人の精神はまだ啓発されていないということであり、したがって人々の心を啓発することもできないわけです。
最大の思想家、芸術家のなかには、普遍的、恒久的な問題には自己のエネルギーを集中させながら、自分のおかれた時代や場所に関する問題には反応を示さなかったという人もいます。たとえば、プラトンは、故国アテネにはあまり精神的な親密感を抱いていませんでした。ゲーテも、母国ドイツとナポレオンの出会いには、政治的にも心情的にもかかわろうとしませんでした。といっても、この出会いが、ドイツの歴史上、一つの転機であることをゲーテが知らなかったはずはありません。
これらとはまったく対照的に、マルクスやレーニンは、自分のおかれた時間や場所の問題に、非常に情熱的に関わり合いをもちました。マルクスは自らの思想を政治活動の計画へと転化させましたし、レーニンは、ロシアの支配権を握って共産革命のためにその権力を行使し、それによってマルクスの政治計画を遂行しました。

【池田】 ソクラテス、プラトン、ルソー、ゲーテ、マルクス、レーニン、ドストエフスキーなどの哲学者、作家にしても、そのとった方法や形式こそ違え、彼らはすべて、自らの思想や著作を通して人類史を変えてきました。私は、やはり、彼らの多くが、自らの生きる時代の状況に関わり合いをもちながら、当時の時代を批判し、かつ乗り越える理念を提示してきたのだと考えます。
同様に、学者が論文を書き、教壇に立って学生に講義をし、芸術家が言語や抽象をもって作品を発表する行為は、たとえばそれが直接的には現実の時代状況にかかわるものでなくとも、そのまま社会への意思表示であり、それは当然、政治や社会に何らかの影響を与えていきます。そして、それが優れたものであればあるほど、時代の動向を左右し、ときには政治的な大変革さえも可能とするわけです。
したがって、私は、すべての知識人や芸術家が、各自の信念に基づいて“政治”に強い関心をもち、時代状況の変革に積極的に取り組んでいくことは当然のことであると信じます。ただ、そこで大切なことは、あまりにも深く政治問題にかかわり過ぎてしまって、自身も権力のもつ魔性に心を奪われ、その結果、自滅することのないように気をつけることでしょう。

【トインビー】 知識人や芸術家にとって、自らが生きる時代と場所をめぐる諸問題との正しい関係とは、中庸の道であるということですね。それについては、私も同感です。知識人、芸術家は、そうした時事的な問題からまったく超絶してしまってはなりませんし、また完全に没入すべきでもありません。
文学者のうち、この中道を歩んだ人々として、私は、十九世紀ロシアの小説家たち、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイをあげたいと思います。また、哲学者でこの中道を見いだした人々としては、ストア学派の創始者ゼノン、それにエピクロスがあげられます。この二人のギリシアの哲学者は、ちょうど都市国家そのものが、ギリシア人の生活にとって、もはや社会的にも倫理的にも満足できる機構でなくなった時代に生まれ合わせています。当時のギリシア人は、精神生活の目標を見失っていました。このとき、ゼノンとエピクロスが、同時代のギリシア人のために新しい人生観を打ち立て、それによってギリシア人の生活は、伝統的な支配的制度としての都市国家が崩壊した後も、なお存続することができたのです。