投稿者:ClearSky 投稿日:2017年 8月24日(木)01時14分48秒   通報
5. 最後に

未だ嘗て、一般信徒が宗教指導者の過ちを正したことはないかもしれません(宗教の歴史に詳しい人がいれば、正確なところをお教え下さい)。
ちょうど500年前の1517年にルターが改革を始めましたが、ルターは宗教者でした。在家信徒ではありませんでした。

2013年夏に先生が仰った「自身と創価学会の発迹顕本」とは何を意味するのでしょうか?
一人ひとりが考える必要があります。

いかなる団体も不断の努力なしには清浄な精神を保つことはできません。
もしも学会がおかしくなった時は、先ずは学会本部が率先して自浄能力を発揮し、次には幹部が努力して、過ちが修正されるべきです。
しかし、おかしな状態が放置され続けるなら、一般会員が立ち上がり、誤りの原因を是正すべきだと考えます。
そうなれば、それは宗教団体としてはある意味で恥ずべき歴史かもしれません。また、それでは仏教史に残ることになります。
それは聖職者に隷属する教団ではなく、21世紀に於ける民衆仏法の証明となるでしょう。

日蓮仏法2.0様は現在の学会をどのように受け止められているか分かりませんが、私は「池田先生の築き上げてこられた功績(教学体系も含む)を破壊する行為は容認できない」と考えています。
教義に関してより丁寧に伝えますと、「【もしも】池田先生の築き上げられた教学を修正する必要があるなら、正しい機関によって、慎重に検討し、公開されるべき」、「元・教学部を排除して行なうような教義改定は本当に正しいのか考える必要がある」との考えです。
何よりも先ず、池田先生の教学を否定するような学説が、合理性を持っているのかを考えることが重要です。先生の教学以外は教義に於ける合理性はないと私は考えています。
次に、「先生を否定してまで、新たな教学を作る必要があるのか」、「新教学が必要となる、時代の要請は認められるのか」を考える必要があります。
私はないと考えています。執行部はその必要性を「世界広布」だと言っているのだと思います。
もしそうだとすると『「世界広布」新時代のために、「先生を否定」することになっても止むを得ない』との主張になりますが、これを受け入れるか否か。会員一人ひとりが考えるべきだと思います。

(教義以外にも、私は「集団的自衛権と公明党支援」の資料を公開しています。現学会・公明党は平和創出に関する先生の功績を破壊していると考えています。)
昭和54年の頃から先生を蔑ろにしてきた歴史は現在も変わっていません。寧ろ広がり、浸潤していると考えます。
そして、「学会にいても幸せにならない」人達は拡大しています。

私の意図が正確に伝わるか否かは分かりませんが、私は単に「本仏論議」「教義論争」だけを行なっているつもりはありません。
教義に関しては【2014年11月の会則改変以前までに、学会教学は完成】されており、【2014年11月に会則の教義条項を修正する必要はなかった】と考えています。
宗門離脱後、御本尊問題、人間主義の仏法の確立等に関して、池田先生は着実に手を打たれていたと考えます。
特に1990年代の10年間はそのための期間であったように思います。今後数十年間、百年・二百年間のための基礎は磐石に構築されていたと思います。
そして、2014年当時も現在も、何も修正する必要はなかった筈です。

更に、先生のお考えは、学会教学、会則の教義条項に関して「教学部レポート」等にある通りだと思います。
しかし、これらの文書は「怪文書扱い」とされている組織もあるので、教義内容からもその正当性を証明する必要があります。
また、大聖人観と御本尊観を大きく変える教義変更のため、そのために各人がより深く考えられる下地が大事だと考えています。
教義や平和に関する意識はそれ自体が重要であり、組織が正常であるか否かのバロメータとも考えられます。

その意味で、私の目的は、日蓮仏法2.0様の目指す、ある意味「純粋な教義追求の試論」とは目的が違うと思います。
私は目新しい教義を提唱しているのではありません。2014年11月以前の教義を奉じています(厳密に言えば、2002年位以前かもしれません)。
三代会長の指導を基に、解説や新しい解釈を加えて、池田先生の教学(御本尊に関する指導、法華経の智慧など)を多くの人に理解してもらうための資料を作成しているのに過ぎません。
多くの人に「何かがおかしい」、そして「何がおかしいか」に気付いてもらうための資料提供です。例えば、教学試験の教材の意味するところ等を伝えているのも気付きの役に立てばとの考えからです。

日蓮仏法2.0様の期待に応えられていないため「残念」との印象でしょうが、私の目的(54年の総括等)なので仕方がありません。
それでも、資料作成等を通して、「日蓮本仏」「凡夫本仏」「久遠元初」等に関して考えることができました。現時点では、私は「法華経の智慧」の内容が最も合理的だと考えています。
「大聖人観と御本尊観」の残りの資料は今後公開したいと思います。その中にそれらを考える材料も載せる予定なので、ご興味があればご覧下さい。
そして、その後、「凡夫本仏論」「久遠元初」等に関して議論するべきだとお感じなられたら、その時は是非、宜しくお願いします。