投稿者:一人のSGI 投稿日:2017年 8月23日(水)00時42分15秒   通報 編集済
この「応身」というのが、意外にもとても複雑なようです。

死の生命の状況として、「法身」は普遍的な側面なので、あまり変わる事は考えられませんし、
「報身」は宇宙の十界のエネルギーに冥伏して、能動的に働くことはできないと思います。
しかし「応身」の側面は、「非情」としての物理的宇宙に合一し、物質としての星などになると書かれています。

言葉を変えて言えば、個の生命の「応身」の潜在化とは、逆により大きな物質に昇華(合一)され、より遍く広がっていくことではないでしょうか。

物質としての星など、、という意味には、この地球上の土や水や植物、鉱物、等も含まれると思います。
つまり、全ての「死」の生命の「応身」が、物理的宇宙に合一するとは、私達の物質的な側面である肉体も含めてのことだと思われます。
なぜなら、私達の体は、自然の中に存在する成分でできているからです。

つまり、「死」の領域に入っていった「精子」と「卵子」のそれぞれの「応身」は、その両方のDNAが合体した時点で、より大きな物質に昇華(合一)されていったと思われます。
そしてこの場合のより大きな物質とは、その新しいDNAにマッチした「応身」の宿業を持った新しい生命ではないでしょうか。

そう考えると、小さな細胞で成り立っている私達の物質的な体の側面は、微生物や外界から取り入れる食物もとりこんで、いくつもの階層になった生死のドラマの舞台ともいえるのではないでしょうか。
依正不二、生死不二、そのものです。

>豚に人のDNAをいれた人用臓器を作る・・それこそ豚+人間・・<

かなり、難しいですね。できればいつか、考えてみたいと思います。(笑い)

思うまま書き連ねましたが、分かりにくくて申し訳ないです。
あくまで、私の考えです。
回答にはなってないと思いますが、「生命を語る」のこの内容は、みんなにも読んでもらいたかったので、いい機会でした。