投稿者:一人のSGI 投稿日:2017年 8月23日(水)00時34分29秒   通報
ではもうひとつの謎、受精の瞬間、もとの精子と卵子の個々の生命はどうなるのでしょう。
精子も卵子も、それぞれの細胞である時、いわば受精以前では、個々の生命を生きていました。
私が思うには、精子と卵子の個としての「法報応の三身」は、「死」の世界の領域に入ったのではないのでしょうか。

仏法では「生」とは生命の「顕在化」、「死」とは生命の「潜在化」と説きます。
更に、「生」とは「法界を一心に縮める」であり、「死」とは「法界に開く」です。
そこから、生命を「法界を一心に縮める」と「顕在化」し、「法界に開く」と「潜在化」になります。
では何が潜在したり顕在したりするのかというという事が問題になりますが、これが個々の生命(宇宙生命と切り離せない)です。
つまり、精子と卵子の個々の生命は受精と同時に「死」の領域に入って、個々の活動は潜在化し、生命は「法界に開」きます。

これについては、私の先の投稿で書いた対談の中に、そのヒントが有るようです。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72981
いろいろと考えました 3/4 投稿者:一人のSGI 投稿日:2017年 8月11日(金)21時32分49秒
池田:ともあれ私達の色心は、(死によって)みずからが「非情」と化すと共に、「非情」としての宇宙 ー つまり 物理的な宇宙
- に合流していくのです。
冷たい地球、冷たい宇宙空間とは、まさに、物質としての星とか、空間を意味していましょう。
植物的生をへて、物質にまで還元されていく人間生命は、「非情」そのものとして、「非情」の宇宙に合一するのです。」
「生命を語る」第三巻 p163-4より
川田:具体的に「応身」からいきますと、「非情」としての「応身」は物理的宇宙に合一して
いますね。

池田:宇宙全体を「相好」となすのですから、人間生命の「応身」の側面は宇宙の色法と
一体になっている。
同 p167-8