投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 8月19日(土)01時27分49秒   通報
21世紀への選択 「苦の認識」から「苦の原因の探究」へ P88

テヘラニアン
会長は前に、釈迦族の王子であったブッダが、若き日にすべてを捨てて

出家したといわれました。

スーフィズム(イスラム神秘主義)でも、王位と財産を捨てて霊的啓示を求めたイブラヒム・
アダム王に関する伝説があります。

この話はブッダの人生と軌を一にするようにも思えます。

その出家の理由について、お聞きしたいと思います。

ブッダはなぜ、青春と裕福の真っただ中で、すべてを捨てたのでしょうか。

池田
釈尊の出家の動機については、おそらく次の経曲の一節(『アングッタラ・ニカーヤ』)が、

その消息をかなり正確に伝えるものでしょう。

「わたくしはこのように裕福で、このようにきわめて優しく柔軟であったけれども、

次のような思いが起こった、・・・愚かな凡夫は、自分が老いゆくものであって、また

老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考え込んで、悩み、恥じ、嫌悪している

・・・自分のことを看過=みすごす・して」

「愚かな凡夫は、自分が病むものであって、また病気を免れないのに、他人が病んでいる

のを見ると、考え込んで、悩み、恥じ、嫌悪している・・・自分のことを看過して」

「愚かな凡夫は、自分が死ぬものであって、また死を免れないのに、他人が死んだのを見

ると、考え込んで、悩み、恥じ、嫌悪している・・・自分のことを看過して」

こう考えて、心から「若さの驕り」「健康であることの驕り」「生きていることの驕り」

が消え失せてしまったというのです。

テヘラニアン
ブッダの出家の動機は、すべての人間存在の根本に存在する「苦を直視したということ

でしょうか。

たしかに、悲劇的な運命に苛(さいな)まれる人だけが「苦」を受けているのではない。

「苦」は人間の存在そのものに根差しています。

池田
そのとおりです、「苦」が「驕り」と表現されているところが注目されます。

いま博士がおっしやったように、悲劇の渦中だけに「苦」があるのではないのです。

他者を老人、病人などと差別的な目で見てしまう驕った心が、さまざまな「苦」を生

み出しているのです。

そして重要なことは、釈尊はそのような「苦」から逃れたいと望んで出家したのでは

ないということです。

というのは、「苦の認識」は「苦の原因の探究」へと続いていくのです。

つまり、釈尊の出家は、苦からの「救済」・・・言い方を換えれば「逃亡」ではなく、

「苦」をもたらしている「因」を突きとめ、それを滅ぼすためだったといえるでしょう。

だから仏典では、釈尊を「勝者」ともいうのです。

決して「隠者」ではありません。

仏は戦う人であり、勝ち続ける人です。

テヘラニアン
ブッダにおいて、出家とはどういう意義があったのでしょうか。

池田
釈尊は死を前にしたとき、こう語っています。

「私は二十九歳で善を求めて出家した」(『ディーガ・ニカーヤ』)

「求めて」という表現は注目されるべきでしょう。

ここには厭世的な雰囲気はありません。

「若者」と「老いたる人」、「健康な人」と「病ある人」、「生者」と「死者」を分断する

「驕り」・・・この意識の奥底に潜む「自他の区別へのこだわり」という「深層のエゴイズ

ム」こそが、「苦」を生み出す元凶であることを釈尊は喝破し、その苦との戦いの勝利を

目指して「出陣」したのです。