投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 8月18日(金)01時23分41秒   通報
21世紀への選択 人間の内なる力は何事をも可能にする P86

テヘラニアン
ところで、日蓮仏法とイスラムにはいくつかの共通点があると思います。

例えば、どちらも、歴史というものを重要なものとして受け止める点です。

ヒンズー教やキリスト教のなかには、歴史をそれほど重要なものとは考えない宗派があ

ります。

また、現世よりも死後の天国を重視する宗教もあります。

しかし、イスラムと日蓮仏法は、現実のこの世界に重きを置きます。

この点、仏教について、池田会長から多くを学びたいと思います。

そのなかで、イスラムと仏教の類似点、相違点もおのずと明らかになってくるでしょう。

もちろん相違点が見られたとしても、私たちの意図としては、それを否定的に考えるも

のではありません。

池田
そうです。「相違」は「多様」に通じます。

共通性を基盤として、ともに協力していく。

また相違性に着目し、それぞれの役割を尊重し、お互いの長所を学びながら、危機にある

現代世界に対し、いかなる貢献ができるか模索せねばなりません。

『法華経』に「三草二木」の譬えがあります。

仏の説く真理がすべての生命を育みゆくことを、雨と植物との譬えを使って述べたもの

です。

雨は多様な草木を育てます。

同様に仏の教えも、多彩な人生、多様な文化を保証するのあかしです。

多様性こそ生命の証です。

テヘラニアン
そのとおりです。画一性は死の象徴です。

まず仏教の創始者であるゴータマ・ブッダの生涯と、その思想の歴史における意義に

ついて、うかがいたいと思います。

池田
ゴータマ・ブッダは日本においては、釈迦族の尊者という意味で「釈尊」と言い

習わされています。

その伝統にのっとって、私も「釈尊」という尊称を使わせていただきます。

詩聖タゴールは、釈尊について次のように語っています。

「インドにおける釈尊は人間を偉大なるものとなさった。カーストというものをお認め

にならなかったし、犠牲という儀礼から人間を解放なさったし、神を人間の目標から取外

してしまわれた。釈尊は人間自身の中にある力を明らかになさり、恩恵とか幸福とかいっ

たものを天から求めようとせず、人間の内部から引き出そうとなさった。

かくのごとく尊敬の念をもって、親愛の心をもって、人間の内にある知慧、力、熱意と

いったものを釈尊は大いに讃美なさり、人間とは惨めな、運命に左右される、つまらぬ

存在ではないということを宣言なさった」
(奈良毅訳「仏陀」『タゴール著作集』第七巻、第三文明社)

テヘラニアン
偉大なる詩人の直感は、宗教の本質を鮮やかに示してくれますね。

ブッダは、呪術的宗教から人類を解放し、幸福を”気まぐれな運命”の手から、人間のもと

に取り戻そうとしたということですね。

池田
そうです。人間は決して運命の荒海に漂う、無力で惨めな存在ではない。

人間の内なる力は何事をも可能にする・・・釈尊のこの獅子吼は、人類の偉大な「精神の

独立宣言」といってよいでしょう。