投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 8月20日(日)02時12分56秒   通報
21世紀への選択  人々の幸福のために歩きに歩き、語りに語るのが仏 P92

テヘラニアン
私は世界の諸宗教に関心をもち、それなりに学んでまいりました。

前に申し上げたように、仏教にはスーフィズム(イスラム神秘主義)との類似点が多いこと

を深く感じます。

大乗仏教についての会長の解釈には、スーフィズムの世界観と密接に符合するところ

があります。

どちらの宗教も、主に説いているのは現世の生の〃脆さ”と〃儚さ”です。

そして、ともに強調しているのは人間の責任、内的生活であり、どちらの世界観も、

宗教的独善を回避し、すべての信仰や思想、哲学との対話を求めています。

池田
よくわかります。

ハーバード大学のヤーマンン教授と語り合った折り教授は「スーフィズムは、実は仏教

との出合いによって、その『瞑想』等の思想に影響を受けたのではないかと思う」と

いわれていました。

テヘラニアン
なるほど、うなずけます。しかも、どちらも現世を否定しません。

どちらの宗教も、観想のために時間を割くことを勧めていますが、この世の俗事を放棄

せよ、とはいいません。

むしろ”社会のために貢献せよ”と訴えています。

ともに、会長がいわれる「善の追求」を人間の義務としています。

あえて相違点を挙げれば、スーフィズムには職業的な聖職者がいないことでしょう。

個人がすべての存在の根源と直接的に対面するのです。
池田
日蓮仏法では「立正安国」といって、仏教者は常に社会との関わりを保ち、率先

して社会をリードする人格とならねばならない、という理念があります。

また、釈尊も「人々の幸福と利益のために、人々のなかに飛び込め」と弟子たちに呼び

かけています。

仏とは、決して座して瞑想するのではなく、人々のなかを歩きに歩き、幸福への大道を

語りに語る存在なのです。