投稿者:ジョーカー 投稿日:2017年 7月29日(土)13時38分38秒   通報
新・人間革命 雄飛三十八より
「 十条は苦悩の末に、今後、一切、謀略や攻撃を行わないことを約束させ、断腸の思いで支払い(3億円)に応じた。山本伸一の中国訪問中の出来事だった。しかし、山脇は、なんと、さらに五億円を要求してきたのだ。」

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悪に対して、所謂、「大人の対応」をすると、益々増長する。悪には、妥協なく、毅然とした態度でなければならない。そうでなければ、「弱さ」を見抜かれ、付けこまれる。創価学会の団結は仲良しクラブではない。内外問わず、悪は悪であるとはっきり言っていかなくては、会員も組織も守れない。

悪と対峙するということは、穏便に済むことはないということである。常に問われるのは、その「覚悟」があるかないかである。54年も山友の恐喝事件も、根底にあるのは、弟子の、悪と対峙する弱さであり、大人の対応でなんとかしようとする姑息さである。これは、結果的に悪を増長させ、広宣流布を破壊する働きとなる。

悪と対峙する弱さは、組織を蝕む。大人の対応は、結局は、何もしないという結果を生む。それが、会員のやる気を削いでいく。学会であろうと、公明党であろうと、おかしいものはおかしいと毅然とした姿勢を保ち続けなければ、第六天の魔王と戦うことは出来ない。悪に対して、大人の対応など、「くそくらい」なのだ!

組織人間は、大人の対応で、すべてを切り抜けようとする。こういう、ズルい大人になってはならない。いかにも物分かりがよく、あなたの味方ですと装っても、悪と対峙する弱さが根底にあれば、それは味方ではない。親の思いをなした魔である。

創価学会は獅子の団体である。あらゆる謀略や理不尽な攻撃を受けようとも、お金を支払ってそれをやめさせるような恥知らずなことはしないし、する必要もない。それで学会を守ることになると思っていたとしたら、筋違いにも程がある。54年も、先生の首を差出し、手打ちにしようと画策した。皆が皆、大人の対応に従い、ズルい大人(弟子)へと成り下がっていった。こんなのはダメに決まっている。

大人の対応に慣れ過ぎると、何が正しくて正しくないかがわからなくなる。思考は止まり、自分の意見をもてなくなり、いつしか、組織の考えが自分の考えとなる。悪と対峙できない自分自身の弱さこそが、不幸の原因となる。不幸とは、善を見殺しにし、悪と戦う心がないことをいう。

悪と対峙するのかしないのか。二つに一つである。悪を喜ばせるのは、悪に対する物分かりのよさ(大人の対応)である。おかしいものはおかしいという感覚を麻痺させることなく、組織にいながら組織に染まることなく、自身を磨き続ける。誰かを頼る心があれば、獅子の団結とはならない。いまこそ、悪と対峙する強さを持つ時である。今一度言いましょう。悪に対しての大人の対応など、「くそくらい」である!