投稿者:サンダーバード 投稿日:2017年 7月 3日(月)05時47分45秒   通報
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北条文書の時代背景

日顕および総監・藤本日潤名で創価学会側に送りつけてきた「創価学会破門通告書」には、次の様に書かれた箇所がある。

「創価学会における、たび重なる巨額の金銭不祥事にまつわる社会的不正・疑惑事件は、創価学会自体が、宗教法人としての資質や責任を厳しく問われる、反社会的実態を露呈したものであります。これは、同時に、本宗の社会的信用に著しく傷を付け、広宣流布への大きな障害となっております」

創価学会側の外護によって、これまで守られてきた事も忘れ、随分と勝手なことを言うものだ。日蓮正宗の社会的不正や不祥事について、創価学会側はほぼ沈黙を守っていたが、その事すら判らず、日顕らは創価学会を誹謗しているのである。

今回、当該文書の時代背景を説明する為に、総本山大石寺の「社会的不正・疑惑事件」に触れなければならない事を予め断っておく。

「創価学会破門通告書」の先に紹介した文に続き、「山崎・八尋文書」(昭和49年4月12日付)、「北条文書」(昭和49年6月18日付)を紹介している。なお、これらの文書は、山崎正友が造反時に、創価学会に独立の下心ありと喧伝し、宗門僧侶を煽るために持ち出したものである。

しかし、これらの文書が書かれた当時の状況を知れば、「山崎・八尋文書」が、何故書かれたかが充分、納得できる筈である。日顕一派は「創価学会破門通告書」に関する記者会見で、これらの文書を記者に配り、創価学会はかねてから独立の意志があったと主張した。山崎正友の謀略の延長線上で創価学会攻撃をしているのだ。

さて「山崎・八尋文書」の中には、

「本山の問題については、ほぼ全容をつかみましたが、今後どのように処理して行くかについて二とおり考えられます。一つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、つまり、向う三年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係ではいつでも清算できるようにしておくという方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという方法です。本山管理に介入することは、火中の栗をひろう結果になりかねない危険が多分にあります」の記述がある。

まず、知っておかなければならないのは、当時の宗門と創価学会の関係が相当ギクシャクしていたという事であり、この状況下にあっても、この山崎提案は、池田会長(当時)によってはっきり不採用にされている点である。

また「山崎・八尋文書」となっているが、八尋頼雄弁護士は山崎の書いたものを清書したにすぎない。元々の山崎手書きの原文は、山崎正友の恐喝事件裁判で裁判所に提出されており、八尋弁護士が単に清書役であった事は、公的に確認されている。

繰り返すが、この山崎正友の創価学会首脳への提案は却下されたのだ。

それでは、この「山崎・八尋文書」は、どのような時代背景で書かれたのだろうか。これを知ることは、先に記した「宗門と創価学会の関係が相当ギクシャクしていた」という表現を理解することでもある。

「山崎・八尋文書」の1頁目から2頁目に、次の様な記述がある。

「今回の道路問題、土地問題は、よほどこたえたとみえて、改革には、本山も覚悟をきめてとりくむつもりのようです。ことに早瀬理事が積極的で、自分は六年間、苦しみながらこの機会を待っていた。今思い切ってやらなければやるときがない。今まで何度云ってもうんといわなかった猊下が、やっと折れたのだから、気の変わらぬうちに、進めたいと思っており、自身で宗教法人法の勉強もしています。宗制宗規、本山規則の改正も辞さないとの考えを述べておりました」

この文で判明する事は、「道路問題、土地問題」があり、それを受けて本山の改革が進められ様としていた当時の事情である。それでは、「道路問題、土地問題」とは何か。それを解説する前に、「山崎・八尋文書」の次の記述を読んでもらいたい。

「要するに、本山と学会と一体不二の体制になって、広宣流布という宗教的使命感は感じられず、むしろ、寺の維持、僧侶という職域の維持ということに徹しているのではないかとの印象を受けます」

後に信心が全く狂ってしまう山崎正友が、日蓮正宗に「広宣流布という宗教的使命感は感じられず」と記述している事は注目に値する。この時、既に山崎は、僧侶達が自分達の繁栄しか考えていないと喝破している。

山崎は、当時、部下の一人に、次の様に話していたという。
「日蓮正宗の坊さんは、信徒が勤行したり、教学を研鑚することなど願ってはいない。そんなことをされると坊さんは困るんだ。自分たちだけが御経を読むことができ、教学も独占したいんだ。信徒は知らしむべからず、由らしむべしと考えている。その方が、御供養を貰い易いだろ。坊さんの考えていることは、威張ることと、金だけだよ」

山崎は早くから、今日、宗門問題として噴出している僧の暗部を見抜いていたのである。だが、山崎の勘違いは、その事をもって信仰そのものをなめていたことだ。堕落した僧の本質を見て、それが日蓮大聖人の仏法の本質と思い、勘違いしてしまった。そして、金と女に転落していったのである。

話を戻そう。「山崎・八尋文書」からは、「道路問題、土地問題を契機に、創価学会が本山改革に乗り出そうとしていた。ところが僧侶側は僧俗一致して広宣流布を進めようとの気持ちがなく、僧の権益のみにこだわっていた」(要旨)という当時の状況が浮かび上がってくる。

「山崎・八尋文書」は、広宣流布を僧俗一体になって進める気のない日蓮正宗の本質に、創価学会首脳が業を煮やしていた――そうした時代背景の中で書かれたものだった。

それでは、「山崎・八尋文書」にある「道路問題、土地問題」とは何だろうか。創価学会側が、本山改革をしなければ広宣流布がおぼつかない、とまで思い詰めた問題とは何か。

前出の二つの文書が書かれた前年の昭和48年6月21日、富士宮市議会の上杉三郎副議長、内藤寛前富士宮市議、渡辺春雄(富士宮半野地区の法華講員)は、細井日達管長と池田大作創価学会会長を富士宮署に告発した。

告発状によれば、告発内容は正本堂建設にあたって富士宮市の市道を無断で占拠し使用しているという事であり、「道路法第九九条違反、刑法第二三五条の二(侵奪罪)」にあたるというのである。

この告発は、『毎日新聞』の静岡版および地元紙に報道された。管長が告発されたのだから日蓮正宗は大騒ぎ、地に足の着かない有様であった。勿論、創価学会側もこの青天の霹靂ともいえる事件に肝をつぶした。

創価学会側にしてみれば、土地や道路の処理は、総本山大石寺が一手に行っていたので安心しており、まさか、その様な法律違反があるとは夢にも思っていなかった。池田創価学会会長は、総本山大石寺の法的処理が杜撰であった為に巻き添えで告発されたのである。

考えられない事だが、正本堂建設事業に関するあれだけ広大な土地の処理をするのに、総本山大石寺は弁護士も雇わず、村の司法書士に任せていた。その司法書士が小手先で違法な処理をしていたのだ。

ともあれ、大石寺代表役員である日達上人は、どの様に言い逃れても罪を免れる事のできない状況にあった。創価学会側は、全力をもって宗門を外護する為、なかんずく日達上人を助ける為に、総本山大石寺の地元対策に入った。

ところが、地元の実情を調べる過程で大変な事実が判明した。告発の中心者である上杉副議長が、厳秘である筈の総本山大石寺の土地台帳一式の写しを全て持っていたのだ。しかも、総本山側の法的処理のミスは道路に関する事だけでなく、農地転用の法的処理でも重大な違法行為をしていたのである。上杉副議長は土地台帳に基づき、どの土地がどの様に違反しているかを詳しく知っていた。上杉副議長らは、市道占拠に続いて農地法違反等でも告訴する事すら考えていたという。大石寺代表役員である日達上人は、法的責任を免れる術もなかった。

だが、この告発騒ぎは、創価学会側が富士宮市に対し公民館を寄付する等の地元貢献の積極姿勢を示す事でなんとか収まった。同48年7月26日には告発は取り下げられた。告発後、およそ1カ月後の事であった。

ところが、告発騒ぎが収まっても、解決されない大きな謎が残った。総本山大石寺の厳秘である土地台帳一式の写しが、何故流出したのかという謎である。当時の日達上人の側近は、反日達上人派の僧侶が当代法主を陥れるために機密漏洩したと最終的に判断した様だが、広宣流布を考えない僧侶達の足の引張り合いが告発騒ぎとして外部に噴出したのだった。

巻き添えとなった創価学会側は憤懣やるかたないものがあった。膨大な正本堂御供養をしたあげく、創価学会会長が刑事告発をされた。しかも、その原因は、総本山大石寺による法的手続きの怠慢と無知、そして引き鉄となったのは、広宣流布を忘れた僧侶達の足の引張り合いだった。

日蓮大聖人の御遺命である広宣流布成就の為には、どんな事があっても宗門改革をしなければならない――そうしなければ広宣流布を推し進める途上で、どの様な障魔が出来するかもしれない――創価学会首脳が宗門改革に対し悲壮な決意をしたのは無理のない事であった。

いざ宗門改革を進めようにも、僧侶側は広宣流布よりも自分たちの立場や権益のみを考え、反発するだけだった。そして、時の移ろいと共に、宗門は「道路問題、土地問題」に対する深刻な総括すらも忘れ去ってしまった。

それどころか、総本山側の会計処理、法人事務処理を広宣流布推進の上から親身になって心配し、書類を点検している創価学会側に対し、お金をいくら持っているか調べているのではと邪推する有様であった。

こうした一連の宗門側の対応に創価学会側は、心底、落胆し憤りも感じた様である。その上、世界広布推進の為に設立されようとしていた「財団法人 日蓮正宗国際センター」について、日蓮正宗を包括し下に置くために創価学会側が作っていると、これまた邪推し設立に反対したのだった。

創価学会首脳は、広宣流布よりも僧の立場や利益ばかり考えている宗門に失望した。「北条文書」は、その様な流れの中で書かれたのである。

「創価学会破門通告書」は、「創価学会首脳が、宗門支配という恐るべき陰謀を企てていたことが、明記されているのであります」と記述し、「北条文書」の次の箇所を引用紹介している。

「長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。(中略)やる時がきたら、徹底的に斗いたいと思います」そして重ねて、「宗門から独立せんとする謀計が記されております」と強調しているのである。この「北条文書」についての創価学会側の立場を理解するには、先師日達上人の発言に触れなければならない。しかしここでは、これを省く。詳細を知りたい人は、「北条文書」全文を読むことが一番だ。

この「北条文書」(6月18日付)に先立ち、5月10日付でも「北条文書」が書かれている。それには宗門について次の様に書かれている。

「先生が前々から見抜いておられた本質がさらけ出されたように思いますが、あまりにひどいので、かえすがえすも残念です。広宣流布など全く考えていない、自分たちの私財がふえることと、信徒を見下してえばって暮せれば満足という風にしか考えられません」

当時、北条理事長が広宣流布に対する情熱の故に、どれほど宗門に対し義憤を抱いていたかが知れようというものだ。その日蓮大聖人の御遺命達成に向けての熱誠の故に、北条理事長が激して書いた、この「北条文書」を殊更に取り上げ、日顕一派は「宗門から独立せんとする謀計が記されております」と解説しているのだ。

先述した当時の状況、「北条文書」の全文を読めば、日顕一派の解説が如何に事実と反した意図的なものであるか、誰でも納得できるだろう。

尚、池田会長は、この「北条文書」等に接しても、宗門外護の姿勢は変えなかった。この様な状況後も、あくまで僧俗和合を進め、日蓮正宗僧侶が自覚を高め、広宣流布への情熱を一層確かなものとする様、腐心されていたのである。

僧俗和合して世界広布に臨もうとの池田会長の意欲は、翌年(昭和50年)1月26日、グアムにおける第一回世界平和会議の開催、国際仏教者連盟の発足という形で結実した。この世界広布史上記念すべき会合には、日達上人が御臨席され、世界51カ国の代表が集った。この折、池田会長が推挙されSGI会長に就任したのである。

池田会長の僧俗和合を希求する粘り強い戦いは、昭和49年当時の宗門側の無理解による宗門と創価学会の軋轢を見事に克服し、昭和52年に発する宗門と創価学会との軋轢修復においても変わらなかった。