投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 2日(月)11時46分0秒  

同年六月「身延派・顕本法華宗・本門宗」が合同した「新日蓮宗」では、
御書七十余編の中の二百八か所の削除を決め、さらに
「日蓮大聖人縮刷遺文」を絶版にし、発行を禁止しています。

同年八月二十四日、日蓮正宗でもそれにあわせて、宗務院の院達を出して御書の発刊を禁止しました。

削除された中には、
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(聖人知三世事九七四頁)、という箇所も入っていました。

そのほかにも、天照太神を低い位置に置いた御文を削除しましたが、
それは天照太神への不敬になることを恐れたからです。

また、国主について述べた箇所や、後鳥羽上皇が幕府に敗れて
流罪されたことを述べた御文が削除されたのは、天皇への不敬となることを恐れたからです。

国家神道一色に塗りつぶされ、軍国主義に押し流されていく時局の真っ只中で、
牧口先生は同年七月、創価教育学会の機関紙として「価値創造」を創刊し、
精力的に論文を書いて会員の指導にあたっていきました。

そして、今までにも増して座談会や地方折伏に情熱をそそいでいきます。
座談会では、御書を引いて話しをするようになり、
厳格に日蓮仏法を守り、謗法払いもつづけていました。

さらに同年十一月五日、創価教育学会・九州総会が開催されます。
この当時の情況が「牧口常三郎(聖教新聞社刊)」のなかで再現されています。
少し長い引用になりますが見てみましょう。

「牧口の一行が当日、初の九州総会の会場にあてられていた福岡県二日市の武蔵旅館へ
到着したときには、すでに福岡市八女郡福島町などから、かけつけた約四十人の人たちが待っていた。

このとき、初めて九州の各地に散らばっていた会員が一堂に会したのであった。
総会の準備にあたっていた、人のよい、真面目な小学校校長の安川鉄次郎は
『大変なことになりました。特高刑事が三人もきています。総会ができるかどうか』
とただおろおろするばかり。

牧口は『なに大丈夫だよ』というと、二階広間へ平然とあがっていった。
そのとき、白い着物を身にまとった男が牧口の前にはだかり
『国が天照太神の奉祀をすすめているのに、
それを悪くいうような宗教はおかしいではないか』と大声で怒鳴り始めた。

その男は、高飛車な態度でまくしたてる。
『どうだ、答えられないだろう』――。